今日からお盆休みに入り、(といっても、東京のお盆は7月)
親戚が母のお墓参りにと、来てくれました。
母方のいとこで、亡くなったと知らせた時、
76歳の年齢だったと伝えると
「まだ(亡くなるには)若かったよね」と言います。
他にも同じように言う方もいます。
昨今は80歳、90歳、場合によっては100歳という年齢がザラに居る時代です。
そうした時、76歳という年齢は、「まだ若い」のかもしれません。
社会の通念、社会のなかの常識からみると
76歳という年齢は、「まだ若い」のかもしれません。
そうした言葉のウラにある前提には、
「長く生きている事がいいことだ」
「長寿が美徳」
のように捉えられていないでしょうか?。
よく、長寿になると100歳を超えると、
TVニュースで取り上げられたり、
元気なお年寄りとして祭り上げられたりします。
アイドルの様に扱われた双子のお年寄りもいました。
元気で闊達に歩いて、頭もはっきりしていて、現役で仕事もしている
というような理想像がそこにあります。
一方で、
生活を犠牲にして、身を粉にして働き、
三大生活習慣病になったり、癌になったり、小さな不調を抱え
身体だけではなく、気持ちの面でも悩みを抱えた人たちが居る。
もちろん、その分得たものもあるし、人生の中では不調なときばかりではない上り坂の時も合るものです。
母は若いときから、時々怪我や身体の不調に悩まされていましたし、
大病してから、そして亡くなる前の数年は、身体のあちこちに不調を抱えていました。
ふ〜ふ〜いっては階段を上がっていたし、本人もつらかったろうけど、
そうしたしんどい言葉を聞いていたこちらもつらかったです。
母もそれは元気であれば長く生きていたかったでしょう。
もちろん、死の間際までジタバタもして「生きたい」という姿を見せていました。
一方で無理な延命は生前から望んでいなかったので、人工呼吸や心肺蘇生はしませんでした。
そうした姿を見ていたので、
「まだ若いよね」という人の言葉に違和感を感じてしまいます。
「亡くなった事が残念だ」
という意味だということも含んでいるのでしょうけど、
「人生は長さが重要なのか?」
「いや、そうではない」とワタシは思っています。
人生を生きている間、質のいい人生を得る事は出来る。
人生の質とは
- 自分の心の状態、
- 自分の健康状態
- 自分のやりがいのある仕事、
- 自分が過ごしやすい環境、
- 自分が行動したい事、
- 自分が得たいもの、
という、
自分をとりまく全てを上質のものにすることは出来るし、そうする方法はあるのです。
それには、
- あなたが望む質のいい人生とはどのようなものか?。
- どのような未来を望んでいるのか?
を
はっきりと意識してそこに向かうように、自分自身の人生を再度プログラミングすることです。
ライフコーチングには、自分自身の人生を再プログラミングできるというそうしたプラスの利点もあります。
あなたの、本当に望む人生の質を高めてみませんか?。