昨年来より、comfort senseで提供している無料メールレッスン『五感力を鍛えて自分を知るメールレッスン』の内容改変に取組んでいます。
2016年にこのメールレッスンを開始したのはまだNLP心理学を学び終えてすぐの頃で、今見ると知識としてはとても断片的なものでもう少し深い部分の内容にしたいと思ったことからです。
しかし取り組んでみると五感の世界はとても深く、全てを網羅できるわけでもなく、専門家でもないので(一応心理学に関してては9年目のキャリアになるけれど・・)理解するのにも、どこをどう伝えたらいいのかも苦心しっぱなしの日々をすごしていました。
そうした中では、自分自身の内面の心理状態と照らし合わせて考えることも多く、改めてさまざまな心理学、脳神経科学、五感に関する文献を読み漁って時間ばかりが過ぎてしまうことも多かったのですが、ようやく、終わりが見えてきました。
コロナ禍が過ぎてもコーチングセッションを再開しなかったのは、2020年に父が亡くなった後の手続きや自分自身が精神的にも身体的にも万全ではなかったことや同時に幾つかのセミナーやコーチングプログラムを作り込む必要があったためです。
その期間は、自分自身の人生の再生の時間でもありました。
それ以前、2015年に母が亡くなってからは家のことと仕事のこととを抱えながら、学んだNLP心理学をこれからに活かしたいという道を模索してきました。というよりも、NLPを学んだのは自分の人生をもっといいものにしたい、自分の望んでいる自営の道をどうにかしたいと思って学び始めたもので、それまでの自分は、上手くいくことももちろんあったけれど、人間関係にもやっとしたり、仕事とお金、身体的にも不調、などの問題が起きると悩みを抱えることも多かったのも事実です。
それは、心理学を学んでそれを理解する数年前まで抱えていたことで、今ではそうした悩みが「本当にあったのだろうか?」と思うほどだけれど、それは確かにあったことだ。
NLPのセミナー以外で学んだこと以外にこうして心理学や脳科学の文献を読み漁って得たことは、これまで以上に知見が深くなったなったと感じるのと同時に、自分のこれまでの悩みや人生がうまくいかなかった理由がよくわかるようになった。
その中の一つに、感情があります。
私に限らず、人は誰しも自分のもつ感情に悩むのではないでしょうか?。
感情というものを捉え直すと、そこには必ず五感とのつながり、過去の体験の記憶や感情を作り出すいくつもの理由があることが見えてきました。
今回は自分自身の振り返りを含めて、書き記しておきます。
自分の中にある感情の記憶と脳や心理の専門書と向き合ってみて・・
自分はなぜ、あれほど悩んでいたのだろう?
昔の自分は、なぜあれほど悩んでいたのだろう?
10代、20代の自分は、なぜいつもモヤモヤとした感情を抱えていたいのだろう?
30代、40代の自分は、なぜ人生が思うようにいかなかったのだろう?
それは、心理状態と深く関わっていると今ではわかる。
- 自己重要感の欠如であり
- 他者と自分との境界の曖昧さ
- 周りの身内の心理状態の伝播・伝染
- 過去の体験から生み出した感情や価値観、制限のビリーフ
という幾つもの理由からだ。
特に母親とはぶつかることも多かったのに、日々接することも多かった。愚痴や不満を「あーだこうだ」と聞くこともあった。その内面には本人の発言(祖母の親戚から「姉ほど誕生を喜ばれなかった」と言っていたからこと)からも自己重要感の低さや不安、迷いを抱えていたのだと今ならわかる。
母と自分との境界がはっきりと確立されないままの子供の私は自我が曖昧になり、且つ彼女の心理状態をモロにそのまま伝染されていた。
感情は伝染する。
身近にいる人の感情ほど、不満や不安、怒りの感情ほどその人のをいつの間にか自分の中に取り込んでしまう。
そうした体験の積み重ねは本来の自分の気質が覆い隠されてしまうために、生きづらさを感じてしまう。
心理学を学んで、自分の心理、母や父の心理、の根底にあるものを推測ながら理解することができて、俯瞰視することができるようになったことで、本来の自分を取り戻しつつある。そう、曖昧なものとして扱われる心の状態というものであっても、そこには理由がある。
そして母が亡くなって、実際にそうした母の心理的影響を受けなくなって、私は生きやすくなった。
私たちの湧き起こる感情は、自分の性格だからではない
一般的に
感情はややもするとその感情がその人の性格であるかのように捉えられる。
- 怒りっぽい人
- 悲観的な人
- おおらかな人
- 楽観的な人
- 明るい人
などのように・・・・・。
そして、
「感情」というと、
「感情を表に出す」というと
「感情をあらわにする」というと
ほとんどの場合、
- 「わがままだ」
- 「理性的ではない」
「気分屋だ」
というように、批判的な物言いをされたり、性格に問題があるような言われ方をする。
しかし感情を表現することには、どんな感情であれ理由があり意味がある。
私自身、幼少期からなにかあるごとに「なんで素直に、ハイって言えないの」と母親には言われていたことや、感情を爆発させることが多かったために「わがままだ」と家族(特に母と兄)には言われていた。
その前に何があったかは記憶していないが、多分に「自分の納得できないこと」、「こうしなさい」、「ああしなさい」という母親からの言いつけみたいなものがあり、「自分のこうしたい」「これは嫌だ」ということを受け入れてもらえなかったのだと思う。ことあるごとに母とはぶつかって言い合いになると、最終的には論点をずらされ「親に向かってなんて口の聞き方をするのか」に行きつき、「話はそこじゃない」のにと解決しないモヤモヤをかかえていた。
そうした家族に自分の表現を否定されてきた者は、次第に「自分がどうしたいのか」、「自分がなにをしたいのか」がわからなくなる。
よく覚えているのは小学校3年生の頃、消防車の絵を描く時間があってでもどう書いたらいいかが全くわからず、時間内に書き終えることができずこっそりと一度提出した画用紙を持ち帰り、兄に書いてもらって翌日その場所に置いた。
5年生になり担任が変わり、クラスの皆で日記を書いて提出すると言うことがあったものの、何を書いたらいいかわからず一冊がなかなか終わらず担任に呼び出されたこと。表現することの良し悪し、本当の気持ちを表に出すことをどこか止める子供になっていた。
だんだんと自分を表現するということに抵抗感を持つようになっていた。
自分を鬼っ子だと思うようにもなっていたし、自分のことを嫌いだとも感じていた。
特に親からの感情や意識は、はっきりと言葉としてのものではなくても行動として振る舞いとして自分に向けれらたものをはっきりと捉える。
どの文献か出典が見つからなかったが、記憶を頼りに書くと
どんなに成績優秀な生徒であっても、「あなたたちは成績が悪い」という扱いを教師から受けるとその生徒たちは徐々に成績が落ちていく。逆に成績が悪い生徒たちが、「あなたたちは優秀だ」という扱いを教師から受けるとその生徒たちは成績が向上していく。ということがある。
これは心理学で言うところのセルフイメージの影響や、プライミング効果の影響や、役割効果の影響。
私たちは特に身近何いる人、信頼できる人の態度や言葉に影響されて、その人が自分に対して持っているイメージの通りにふるまってしまう。
あるいは、身近何いる人、信頼できる人の態度や言葉によって、セルフイメージを構築して、そのセルフイメージの通りの人になろうとしてしまう。
私は、母親のイメージする通りの「わがままな子」と、自分自身の持つ本質との間で混乱していた。
子供の頃、両親はよく喧嘩をしていた。
大抵のその理由は今ではよく覚えていないが、それは子供が成人してからは少なくなったもののやはりあった。
一度喧嘩をすると身体的な暴力はなくても、怒鳴り合うようなこともあったし怒りのやり場に困った父はよく物を壊していた。
その度に今思えば、フルフルと不安な感情が湧いていた。
大人になってからは止めに入って逆に母から返り討ちにあうようにこちらに怒りを向けられたり、(心理的には子供はそうした時、何もできない自分や自分が原因だと責めてしまうそうだ)、父は「なぜああなのだろう」と悩んで相談されたこともあったが、(今思うと、本当の原因は母の方にあって、父の怒りは私自身の感情の爆発と同じで、自分をわかってくれないことの怒り、精神的に縛り付けられることの怒りだったのだ。母の死後、私は父を尊重するように接するようにしたこともあってか父はとても穏やかになったし、それが本来の気質なのだと思う)
私たちは、幼少期に体験した出来事の中から感情の出し方をパターン化する。
親や周りの大人たちの感情の出し方そのものや親や周りの大人たちの価値観、信じていることなどを受け継ぎ、それを基準として感情を出すようにもなる。
しかしそれは、本来のその人の気質ではないのだ。
私自身の体験からわかることは、
そうした誰かの感情に支配されている時、
本来の自分が覆い隠されてしまっている時、
というのは、とても生きづらさを感じるのだ。
30代半ばまで、“何をしたいのかがわからない”に悩みながら模索した
子供の頃に、「大人になったらなりたいものはなにか」?というありがちな質問にも、やりたいことがよくわからず「パン屋さん」と答えていたのは、その当時母が勤めていたカフェ兼パン屋(今ならコンビニ見たいな存在のお店)だったからで、特にそうなりたいわけでもなかったのは記憶している。
やりたいことを知るのに、子供の頃「好きだったこと」「なりたかったこと」を振り返るというやり方が、自己啓発などでは言われているが、実のところこの子供の頃のやりたいこと、はとても曖昧で、親や周りの環境からの刷り込みが影響していることがほとんどだからだ。
もちろんそんな中でも、自分の好きなことはあった。
小学校の女の子がよくやる「ゴム弾飛び」ができずに仲間の中に入れず、ネジやパーツで組み立てるキットを好んでいたことや、父が勤めていた会社のショールーム的なビルに連れて行ってもらって、オーディオ機器をいじるのが好きだったりもしたのは、ものづくりが好きだと言うことの原点で、今のパソコンいじりに抵抗がない自分を生み出している。
ものをつくること。クリエイティビティーを発揮することだ。
でも、具体的には何をどうしたいのかがわからなかった。
そして、いざ「自分がこうしたい」ということに対しては、悩んでいることが多かったと思う。学生時代にお金のない友人と二人でアルバイトをしようと電話をかけて断られた時も、もやもやとなんだか悩んでいた。今思えばその声はくぐもっていてはっきりとしない人物に思われたのだろうと思う。
そもそも、大学受験も母に勧められるままに受験した看護学校は、「語学やいろんなことが学べそうだ」程度で、苦手な科目に家庭教師がついていたが失敗して、ギリギリ受験できた短大に飛び込みで入ったものの馴染めないままだったし、全てが後ろ向きだった。
20を過ぎて、「いざ就職」、「いざ自分の仕事」、となった時、何をしたいのか全くわからなかった。せっかく父の会社に面接を受けるチャンスがあったのに革新的な仕事をしているその会社で「何をしたらいいかわからない自分」は、受かりようもないのも当然だ。ようやく潜り込んだ化粧品の会社も周りの社会人として育ててもらったことは今につながるけれど、人たちとの乖離を感じていたしロールモデルになる人もいずモヤっていた。
悩みながらも、20代になって自分で働いて自由になるお金を得てからは、
フラワーアレンジメントを6年習ったり
マックDTPスキルを身につけるのにパソコン教室に通ったり
ディスプレイの夜間学校にも働きながら学んだ時は、その講師の方の実際の仕事現場を手伝う機会もあった
マクロビオティックを基礎からLevel2までみっちりと習得する
ということをしてきたことが、自己表現の幅を広げて少しずつ私自身というものを作り上げていったのも事実だ。
けれども、それでもまだ私は悩んでいた。
人への対応や関係に悩んだり、家族との関係(特に母親ともめて)で悩んだり、お金と仕事の問題で悩んだり、ということは悩みのパターンとして人生の中で繰り返し起きてきた。
それは、自分が幼少期からの体験でできた制限のビリーフ(思い込み)が影響していたのだと、NLP心理学を学んだ今ではわかる。
ビリーフの形成には、母親にとって都合のいい人間でいようとしていた無意識の適応もあった。
母にとって都合のいい人間は、彼女よりお金がなくてダメな人間でなければならなかった。
母親の感情にいつの間にか影響されていた、感情の伝播もあった。
彼女が発するお金や物に対しての考え方を、を知らず知らずに当然のことと捉えていた。それがいかに窮屈な考えで、節約思考の陰で散財していたのかも今ならわかる。
今の感情も、過去の体験から生じたプログラムが発動している
ここまで、いかに母親の影響があったのかを書き綴ってきたが、人様から見たら「どれだけ母親のせいにしているんだ」と非難されるかもしれない。
けれど、こうした悩みは私だけに限ったことではなくて、人の心理として誰にでも起こりうることだということも知っている。私たちの今の状態は、何の経験もないところから発しているわけではない。過去の体験の積み重ねのなかで、インパクトある体験、重要だと感じたこと、繰り返しあった出来事に対して記憶し、その時の感情の記憶も記憶する。
そして、感情や心理状態として脳のプログラム化されて、今現在に起動するのだ。私たちが感情を発するのは、何かの状況に接した時その状況に対しての反応だ。けれど、その感情として現れる反応自体は本来脳が持つ機能、過去の様々な体験の中で身につけたプログラムによって身につけた、<何に、どのように反応するか>のパターンに過ぎないのです。
私たちが悩みを認識する時、それはほとんどが自分の感情を伴う。
あるいは、感情そのものに対しても悩んでしまう。
つまり、物事や出来事に対して自分自身が「そうだ」と感じることに悩んでしまうことがほとんどではないでしょうか?。
人は一人一人置かれている状況が違いますが、似ている状況にあったとしてもそれに対して悩む人もいれば、平然としている人もいるのは、感情のプログラムによるところが大きいのです。
そして、私たちの脳は、記憶したことが固定化されるわけではなくて、常に現在の状態やこれからによって上書きもされる。気づいたら理想の自分へと変えることも可能だということ。
今回、五感力レッスンのテキストを改編するにあたって、
五感の感覚がいかに人に影響するか
五感の感覚と感情の関わり
感情から発生するセルフイメージ
過去の体験からプログラム化されたことが現在に及ぼすこと
それを変えることも可能な脳の仕組み
についてを実感として理解することができた。
時間はかかってしまった(昨年フルに)。けれど、学んでいた間に自分自身の生活習慣やマインドの再生も同時に起きてきたことは、さらに実感として人はいつからでも変わろうと思えば変われることを身をもってさらに実感することができた。
そして、今ある感情も過去の体験から生じた脳が作り出したプログラムであるということは、感情も自分の望む様に変えられるということだ。