こんな方におすすめ
- 身体的なしんどさを抱えている方
- 心理的なしんどさをを抱えている方
- やる気になれないと感じている方
- 意欲的になれないと感じている方
あなたは今、
- なにかやる気が出なかったり、意欲的になれない
- 晴れやかな気分になれず、モヤっとした気持ち
- 考えても、考えても、考えがまとまらない
- やりたいことはあるのに、一歩踏み出せない
などを感じていますか?。
それと同時にどこかに、痛み、不調、不快感を感じていませんか?。
私たちは自分自身に、痛み、不調、不快感があるときには、新しいことや楽しいと感じることであっても、やってみよう、行動しよう、というやる気・意欲をもつことができません。
それは、身体的なものであっても心理的なものであってもです。
私たちの身体と心の状態は、思っている以上に影響しあっています。
そのことを知らずにいると
思うようにいかないことがあるとき、
悩みを抱えてしまったとき、
後ろ向きな気分に陥るとき、
「なんでダメなんだろう」「どうして」「なぜ」という、頭で(思考で)解決しようとしがちです。もちろん、考えることはとても大切です。
自分が、なにを考えているのか
自分が、何に対してどう感じているのか
気づくことはとても大切です。しかし、それだけでは解決しないこともまた事実で、負の悩みループに陥ってしまいます。その時は【身体の不調がないか】をチェックしてみてください。
五感の感覚が、感情や思考、行動に影響があるように、その五感の感覚を支える・五感そのものである身体の状態は、思っている以上にあなたに意識的にも無意識的にも影響を及ぼしています。
痛みを抱えた時の、痛みとの向き合い方のヒント
身体の状態と感情は相互に影響しあっていることを知る
私たちは、皮膚の触覚を通して外界からの衝撃を受けて損傷することで、それを痛みとして感じたり、あるいは体の内部の不調が高じるとその不調がもたらすサインとして痛みを感じます。
動き回って転んで膝を擦りむいたり、
部屋の柱の角に足の指をぶつけてしまったり、
した時などを想像してみてください。
第一痛は:ぶつけた時に受けた鋭い痛みは、速い速度で脳に伝わり
第二痛は:その後じわじわとした痛みは、ゆっくりとした速度で脳に伝わる
というように、痛みは、
・一瞬んで終わるものもあれば、
・段階的に持続するものもあります。
私たちはこれまでの経験から、どななことで傷がつき、どのような時に痛みを感じるのか、どんな質の痛みがあるのかを知っています。その経験を記憶すると、次にその事態に陥りそうになった時にはそれを回避しようという行動が取れるようになります。
ですがどんなに予想しても、経験のない痛みが突然襲ってくることもあります。
不意の出来事が襲い、予想しない痛みにさいなまれることもあります。
痛みを表現するのに、鋭い、焼けるような、じわじわと広がるような、疼くような、刺すよな、鈍い、重い、などの表現をしながら、痛みに対して不快なものとして捉え、それと同時に何らかの感情を抱きます。
その時抱く感情は、「しんどい」「つらい」「耐え難い」「嫌だ」「重苦しい」などの言葉で表現され、過去にあった痛みの体験を思い出して痛みが持続したり、増強されたりもします。
そんなこと当然でしょ?、と思われた方もいるでしょう。
しかし、身体の感覚は心理的なことと相互に強く影響しあっているということを、深く実感している方は稀です。
小さい時に初めて注射をされた時の痛みと感情の記憶(怖い、不安、など)は、大人の今になっても同じ状況(例えば、病院のアルコールの匂いを嗅いだり医師の白衣をみると、子供の頃の怖かった注射の記憶が蘇り実際よりも痛みを感じたりします。
それは過去の記憶が予期となって心理的な影響から起こるだといわれています。つまり、過去の感情の記憶が、今現在の痛みの発現に作用しているわけです。
逆に、極度になにかに集中している時、トラブルの対処に追われている時には、痛みがあったとしてもそのことを感じない、痛みを鈍らせる、ということもあります。
痛みに限らず、私たちは五感の感覚でキャッチし神経繊維を通じて脳に伝達していますが、その全てを伝えているわけではありません。その時の感情や認識に関わらず、どの情報を受け取るのかを脳のフィルターを通じて選別して抑制したり通過させたりという情報のコントロールを無意識的に行っているのです。
痛みを処理する脳内のネットワークは、
感覚的、識別的なルート
感情的、情動的なルート
という2系統の経路を持ち、前帯状皮質、島皮質、前頭前皮質、扁桃体という同じ脳の領域で重なる部分を持っています。
参考:『触れることの科学』河出書房新書 デイヴィッド・J・リンデン著
それだけ、身体的な状態と心理的な状態は強く影響しあっているのです。
身体的な痛みがどこかにある時、痛みに対して強くネガティブな感情が働くのは当然のことですが、恐れや不安などのネガティブな感情もまた、痛みを感じる強さ弱さにも影響しているわけです。
特に、痛みがある時に、なにかをやろうとしても、
興味のある楽しそうなイベントがあっても
前向きに「やってみよう」「行ってみよう」という気になれないのは、当然のことなのだと言えます。
夜も昼もなく仕事を頑張りすぎてへとへとになり、鬱になることがるのは、認知されるようになってきましたが、まだまだ、身体的な状態と心理の状態の強い結びつきについて深く理解されていないまま特に私たち日本人は、がむしゃらに馬車馬の如く頑張ることが美徳のように捉えられています。
それは、身体も心の状態も疲弊させている状態で、どちらも相互に影響し合っているのは、人の機能として当たり前のことなのです。
身体的な我慢を重ねると、人生全てに我慢するようになる
上記で述べた、身体状態と心の状態の影響は、一時的なものだけにとどまりません。
身体のどこかに痛みがあると、
身体のどこかに不快感があると、
それが常態化されると、
【痛み】があることが当たり前だと思うようになります。常に頭の中で痛みの予期(想定)している状態となっていきます。
【痛み】が常態化されると、我慢することが習慣化され、それ以外の日常においてもあらゆることを我慢をするようになります。
例えば
やってみたいこと、
行ってみたいこと、
食べてみたいこと、
など「してみたい」を我慢するようになってしまいます。
あるいは、痛みがあるときは、そのことが頭から離れずどうにしかしたいと思うものです。その状態は、常に痛みがあることに意識が向き、どうにかして痛みから解放されることに躍起になり、常に緊張した状態が続いて気が休まる時がありません。
自分を楽しませたり、
自分をリラックスさせたり
自分をいたわる
自分のやるべきことに集中する
という自分をいたわる時間さえ持つ気になれないものです。それは、痛みがあることを解放したいということに始終とらわれていくからです。「痛みがあるうちはそんなことする気になれない」というそれは裏を返せば、「痛みが解放するまでは・・・」と我慢しているようなものです。我慢を強いられているようなものです。
私たちは、本来欲があることで
日常生活を今よりもよくしよう
人生の理想や目標を達成しよう
というという気持ちが湧いてくるものですが、その欲さえも抑えられてしまうほど、身体の痛みの感覚は強力なエネルギーでそれを放っておくことは人生の妨げにもなるわけです。
ですが、私も含めて、ちょっとした【痛み】も大きな痛みも「無いこと」として無視しがちではないでしょうか?。
以前NHKの『ヒューマニエンス』という番組の「疲労」に関するテーマの中で、人間は、仕事の充実感、達成感、人に褒められる、などがあると疲労感をマスキングする。欲があると身体的には疲労感があってもそれを無いように脳が認識してしまう。
と語っていました。
つまり身体の感覚を、脳の仕組みで感じさせなくしてしまうわけです。
疲労は痛みとはちがうでしょ?と思われるかもしれませんが、過度の疲労は、【身体を痛める】という点においては、怪我をしたり、病気をした時の痛みと変わりはありません。
健康状態を損なっているという点において、全く同じで、その状態は、本来望ましいものではありません。
心理的な痛みも放置してはいけない
身体的な状態が心理状態に影響があるように、心理的な状態が身体の状態にも影響するのは、当然のことですが、影響あるのは身体的部分にとどまりません。
痛みとは呼ばないまでも、心の中に何らかのネガティブな心理パターンとして記憶され、それが影響して、大人になった今でもそれが人生中でなんらかの形で影響を及ぼしています。
それは、ひとさまざまで、その傷ついた言葉は辛いことであるが故に心の奥深くに沈み込ませ、感じないようにしていることがほとんどです。
心理的な痛みは、ややもすると血が出たり、傷をみたり、というように視覚的にみられるものでも、物質的に壊れている状態ではないので、認識しにくいものです。
人生への意欲を下げる痛みは、身体的なものに限りません。
私たちが誰しも持っている【心の痛み】は、実は身体のように実感できない、原因がはっきりとわからない、言葉にできないが故に見過ごされがちですが、人生の様々な要素、健康面、人間関係、行動、感情、生活習慣、自分自身に対するイメージ、などに影響しています。
私たちは、生まれてから今日まで様々な体験のなかで、出来事に対して感じたことによって、心理的なパターンを持つようになります。
その中には、インパクトある体験から、【自分自身に対するイメージ】、【物事に対する価値観】、【できる/できない】などのビリーフをもち、それが今現在までのあなた自身を形作っています。
ビリーフは、
- あなたの信じていることであり
- あなたが価値を感じること
- あなた自身に対する評価
から形成されます。
信念という言葉を意味するbeliefは、「こうあるべき」という強い意志や揺らぐことのない軸、というような【よいもの】として捉えられますが、プラスに働くビリーフもあれば、マイナスに制限的に働くビリーフ両方が存在します。
「自分の言っていることは正しい」というビリーフは、時として頑な心理状態を生み出し、周りの人にもそれを押し付けたり、自分の正義と見合わない人は糾弾したり土下座を強要したりもします。
正しさは、人の数だけある
ものですが、「自分の思っていることは正しい」と信じきっていることは、それがどんなに社会とずれているとしても、それを他者に強要するのです。
あるいは、幼い時に周りの大人や年上の人に言われたなんらかの言葉によって、
- 「自分は人に逆らってはいけない」というビリーフを形成して、何も意見を言わない人になったり
- 「こんどもまた、女の子だったなんて」という言葉に、「女の子である自分は価値がない。だから男の見たいにふるまおう」というビリーフを形成します。
これはほんの一例で、ないがしろにされたり、からかいの対象にされたり、傷ついた言葉にに限らず、身体的な虐待、あるいは事故、あるいは、ショックだった体験なども同様に、あなたの心の中に痛みとして残っています。
多かれ少なかれ、だれしも幼少期の体験・言葉や虐待、扱われ方、によってビリーフを自分自身が心の対処法として形成するのです。
痛みを軽減させるには?
痛みを軽減させる、痛みに対処するにはどうしたらいいか?それには以下の項目に対処することではないでしょうか?。
- 身体、心理の両方の痛みに気づく
- 医療的な対処をする
- 心理的な制限のパターンに対処する
- 自分自身の五感の感覚に気づく
身体的な痛みがある時は、もちろん医療的な処置を受ける必要がありますが、それ以外にも心をリラックスさせたり、睡眠を十分にとったり、体が欲する食べ物を食べたり、ハードワークを減らしたり、という生き方全般の見直しも必要です。
先で述べたように、自分自身の不快、痛みに対して気づいていない人、気づいていても深く実感しようとせず放置している人も多いのが現状です。心の面でもそれは同様です。
心理的な制限のパターンに対処するのは、一人ではなかなか難しいものですがあなたが普段、
「当たり前だ」と思っていること
「これが正しい」と感じていること
「こうしなければいけない」と決め込んでいること
「これはできる/できない」と感じていること
「自分はこういう人間だ」というセルフイメージ
に対して、書き出してみることです。
自分自身の五感の感覚に気づくということは、身体感覚に気づくことです。
私たちは外界からの情報を五感を通して受け取り、【好き/嫌い】【快不快】【可/不可】の判断をして、感情や行動を起こしています。そして、過去の体験・感情や行動のほとんどを、五感の感覚の要素をともなって記憶し、その記憶が感情や行動を起こす心理的なパターンともなります。ですが、そのことに気がつかないまま昔からの習慣で五感の感覚からの情報を取り入れていることも多いのです。
つまり、あなたが習慣的に五感の感覚を通して選んだものは、今の自分にそぐわないものも多く含まれるのです。
私は、洗濯洗剤のきつい匂いのものが全くダメで神経に響くような感覚があり、近所の洗濯物から臭う化学的な香料のものや、母が生前使っていた安い粉石鹸が全くダメで、自分のものは自分で買った天然香料を使った洗剤で洗っていました。母が亡くなってからは自分が使っていた洗剤をメインで使うようになりました。
自分の五感の感覚に意識を向け、心地よいもの、不快なものに気づくことは自分自身に対する気づきを深くする方法の一つですし、心身両面であなた自身を快適にする方法でもあります。
私自身、10月なかばから歯の痛みに悩まされて歯医者の予約を入れ、一週間後にその痛みから解放されるまで、普段だったら参加していただろうイベントも、仕事への集中力も意欲も途切れがちでした。実は歯の痛み、歯の異変は数年前から感じてはいたもの雑事や仕事のプログラム作りに追われて、そこに気持ちを向けることを避けていました。その痛みを放置できないほどになって医者に行ってみると、神経をぬくほど虫歯が進行していました。
身体、心、両方の痛みは、誰しも発生するものです。しかし、私自身もそうですが、自分の痛みは後回しにしがちです。その後回しにしている間、その痛みが感情に作用し行動することを妨げ、人生への意欲を低下させる可能性があるのだと知っておいてください。