こんな方におすすめ
- 数々の開運法をためしたが、実感がない方
- 望んでいることが、なかなか叶わない方
- 強運を引き寄せたいと思っている方
- 自分の望む人生を実現させたいと願う方
誰しも、いい運を引き寄せたい、いい運を手に入れたい、と願う。そして願うからこそ、【運を引き寄せる】だろうという行動をしますよね。
- 節分になると、恵方巻きを食べて開運
- パワースポットや神社にお参りに行って開運
- 満月日に、お財布を振り振りする
- 強運を引き寄せるカラーはこれ!というとおりの財布を買う
- 一粒万倍日に〜〜〜をする、
- 大安の日に宝くじを買う
などのように、吉日と呼ばれる日や強運日に【運がよくなる】であろうことをしています。
年の瀬は、大掃除をしたり、門松を立てて神様をお迎えして、おせちの準備をしてあれやこれやと準備するのも、次の新年がいい年になるようにと願う気持ちからです。
人はいい運を引き寄せるために、厄災を祓い、験を担ぐ(げんをかつぐ)ことをします。
あなたも、そうした何かをしたことがあるのではないでしょうか?。しかし、そうしたことで運がひらけたことはあったでしょうか?。あなたが望んでいるような、幸運が訪れたでしょうか?。
私もこれまで、お正月の準備、大掃除、神社参拝、パワースポット巡り、恵方巻き、豆まき、〇〇日にこれをする、(満月の日にお財布をふりふり・・・はしませんでしたが)など、いい運を呼び寄せるのに必要とされることは、実践してきました。
もちろん、気分が良くなること、いい感情でいることは、周りに影響するのみならず、前向きに行動変化をおこすことができるために、いい結果が得られやすいと言うことはあります。
しかし、開運したいと望む上記のようなことは、一瞬でいい気分も終わってしまいますし本当の意味での開運にはならないのではないでしょうか?。あなたが望んでいる理想を叶えられた時こそ、運を手に入れたと感じるのではないでしょうか?。
そうした理想は、大きなものから小さなものまでさまざまですが、あなたは、あなたの理想を実現できていますか?。
もしできていないとしたら・・・・・・・、それは、本当に必要なことをしていないからです。
運を実感できる、最強の強運を引き寄せるには、考え方やり方は、あるのだろうか?。そもそも、運を引き寄せるとは?ということを、上記で述べたような気分や暦の上のものではなく、現代の私たちの視点・現実的な視点で、理想を叶えるための運というものを、心理学の知見を交えてお伝えします。
望むものを手に入れる、強運の引き寄せとは?
運の引き寄せは、厄災を祓うことから
運を引き寄せるということと同時にあるのが、【厄災を祓う】という考え方です。
特に平安時代に行われていたとされる、さまざまな宮中行事には、厄災を祓うものが数多く存在しました。
そのいくつかは、形を変えて現代にも残ったものや廃れたものがあって、
ひな祭りは、子供の厄災を祓うために人形を川に流して無病息災を願う行事から発生したものですし、
節分(豆まき)は、立春の前日2月3日に、鬼を祓って福を呼ぶものというのは現代の感覚ですが、元々は中国の宮中行事で新年(立春)の前日である大晦日に行われていたものを日本でも風習として取り入れられ、宮中で取り入れられた、追儺、鬼やらい、と呼ばれていた儀式のことです。災い、災難、災厄を疫鬼や魑魅魍魎に見立てて、方相氏という役人がその鬼を祓う役回りをしていたのです。
鳴弦(めいげん)の儀は、邪気を祓うために、弓の弦を手で弾いて鳴らせることで、貴人の誕生、病気、天皇の入浴の際に行われたとされ、『鎌倉殿の13人』の中でも、頼朝の長男・万寿の誕生の際に上総介広常が鳴弦の儀を行う様子が登場します。
その不思議な、人智の及ばないこと、分からないことに、人は不安や警戒心を抱き、感情が支配します。病や天災、飢饉など、現代のように科学的な根拠がはっきりしないことは、目に見えない実態のない、摩訶不思議な、人智の及ば不思議なものと捉えてきました。
人が運を望むとき、厄災から逃れたい、健やかで平穏でありたいという意識が背景にあったのだと推察できます。
つまり、平安の昔では、運を引き寄せるという考えの前提には、災いがない状態、厄災から逃れたいというを望む気持ちがまずあるということです。
自分の理想・望みが明確だからこそ、開運する
しかし多くのことが科学的に解明され、物事の理由がはっきりしている(と思い込んでいるだけではありますが)今日では、病や厄災のない日々、以外のものを求めるようになりました。
- 人生の充実
- お金や物質的な豊さ
- 地位や名誉
- 日常生活における何か
など求めるものが時代によって変化しても、私たちは叶えたいと思う何かを誰しも持っているものです。それを手に入れるために日々何らかの活動を
しているはずです。開運したい、運を引き寄せたいという思いは、それを実現する願いの一つとなりました。
- 開運行動をすれば、何かいいことが起こるはず
- パワースポット行けば、なんとなく望んでいることが実現できるチャンスが来る
- 開運する行動をしているから、人脈やチャンスを得られる
そう感じてませんか?。
開運したいと願う時、運を引き寄せたいと望む時、大抵はこのような考え方をしがちです。つまり、「何となくいいことが、いいものが欲しい」という願いをしているのです。しかしながらこれは、運任せで自分の理想は何か、叶えたいことは何か?を自分自身で考えることさえしていません。
開運したいと望む以前に、
望んでいる理想がなければ、
理想や叶えたいこと自体も間違っていれば、
そもそも開運しようもありません。
運を引き寄せられない、理想についての間違いは主に三つです。
①理想が明確ではない
②理想や望みを実感できない
③本心ではない理想を掲げている
- ①理想が明確ではない
以前アップした『運を貯める、運を使い』というのも、何か自分が望んでいることがあって、そのために日々良いことをしていくというものでした。つまり、「現実の自分に即した叶えたい何かがある」ということが前提となります。
理想が叶わない、運が悪いと感じている人ほど、上記のように運任せで、自分の理想や叶えたいことさえも、明確ではないのです。
- あなたが望んでいる理想
- あなたが手にしたい目標
というのは、
こういうことがしたい
こうした状態になりたい
というあなた自身の願望から発生します。
私たち人は、何らかの理想とする状態に自分自身を置きたいと願います。
それが漠然としたものでも、
それが単純なものであっても、
【こういうこと】、【こうした状態】という理想や目標があって、初めてそれに対して何らかの行動をすることができます。
しかしながら、多くの人の場合、
目指すものがわからない
やりたいことがわからない
がために、
モヤモヤしたり、
憂鬱になったり、
自分に自信が持てなくなったり、
というように精神的に悩んでしまっているいる人が、ほとんどではないでしょうか。
- ②理想や望みを実感できない
あるいは、なにか望みがあっても、
「本当にそれでいいのだろうか?」と決められなかったり、
「何をしたら良いかわからない」とやる気がわかなかったり、
ということがあるのではないでしょうか?。
開運できる人というのは、自分の望んでいることに対して「そうしたい」と素直に受け止め、自分自身の望んでいること、つまり、欲に対してなんら抵抗することはありません。
なぜなら、自分自身の本心から望んでいることだからです。
それがわからないから苦しい
それが実感できないから辛い
というのもわかります。
20代の私も、そうした「やりたいことがわからない」「やりたいことが実感できない」人の一人だったからです。
- なぜやりたいことがわからないのか?
- なぜやりたいことが強く実感できないのか?
あなたは、些細なことでも「こうしたい」という自分自身の願望を言葉にすることができますか?。
小さい頃から、押さえ込まれた厳しい環境であったり、親や周りの大人の言われた通りに従ってきた人ほど、自分の願望をだすことができません。願望を持つという認識さえないかもしれません。「自分はこうしたい!」という欲も筋肉と同じで、些細なことでも表現しなければ埋もれたままの能力となってしまいます。
子供や学生の頃ならまだしも、成人して自分で判断しなければならない状況は発生します。そうした時、自分自身が「こうしたい」という理想がなければ、そのことに対して意識を向けることも、なんらかの判断も行動もできません。
- ③本心ではない理想を掲げている
また、理想があっても自分自身の本心ではない、自分の心の奥から発生した欲ではない理想を掲げる人もいます。
「世のため人のため」「世界をかえたい」というように・・・
しかし、その「世のため人のため」に何かをしたいというその先には、あなた自身が得たい欲、肯定的な目的が存在するのです。
人の心理の法則一般に知られていませんが、人が行動する先には自分自身が得たい「肯定的な目的」というものが存在します。
「世のため人のため」という言葉を掲げる人の中には、身近な人や周りにいる人が問題に陥っていたとしてもそのことに鈍感で、大きな目立つ、より評価されるであろう「世のため」に動こうとします。
なぜなら、「その方が自分自身の存在を認めてくれるはずだから・・・」それによって、自己重要感を満たそうという無意識の働きがあるからです。
そうした視点ではなく、<自分がこうしたい/したくない>という理想の方が、逆に他の人に勇気を与えたり、他の人をポジティブにしたり、いい影響を与えたりすることが あるのです。
【人のため】は得てして、自分のためであることが多く、それは他者を自分の思う通りにしたいということにつながり、【人のため】ばかりをいう人は、それを利用して自分の自己重要感を満たしたいという意識があるのも確かです。
本来、自己重要感を満たしたいというのは、誰しも持っている本能的な欲求で決して悪いことではありません。
しかしながら、自己重要感を満たすために「世のため人のために何かをする」、それは、他者を精神的に利用していることになり、他者はそのことに無意識のうちに気づきます。そして、他者にも自分のために何かをすることを欲求し始め、自分の思う通りにならない人を戒めるようになるからです。だからこそこまった理想なのです。
「人のためを考えるから、物事はうまくいく」
もちろん、仕事や会社のなかで仕事をする上では、「自分以外の誰かのために」という目標は当然のことです。しかし、誰かのため=(イコール)無償奉仕ではありません。
近江商人の考え方・「三方よし」であっても、利益を産むにはというビジネス意識があることが前提です。だからこそ、他者のことを徹底的に考え、他者の望んでいることは何かを考え尽くしそれを実際に行動するのです。
望んでいることがわからない、
自分の目指している理想がわからない
という時ほど、他者へ意識を向けるのではなく「自分自身のどうしたい」に意識を向けることです。
- あなた個人が、望んでいることは
- あなた自身をどうしたいか
- 自分が、どうなりたいのか
というレベルのものです。
しかし、「自分がどうしたいのか」もわからず、尚且つ、開運したいと思うのなら、個人レベルで望んでいることを念頭におき、些細なことでも自分の日々望んでいることを明確にする練習をしましょう。それがあって、自分で自分を満たすことができて初めて、他者に対して貢献もできるし、人のために何かができるのです。
大きな理想ではなく、日々の中に「そうしたい」という欲求を持ち、それを実現していくことから始めましょう。
それには、日常のなかで、自分自身が感じていること、思っていること、イライラでもモヤモヤも含めて、文字に書くようにしましょう。文字で書くということは、自分の気持ちを明確化するだけではなく、そのことを自分自身に伝達する、という役割も持っています
あなたの理想・叶えたいことを明確にできますか?。
あなたが、本心から自分が望んでいることを、誤魔化さないことです。
あなたが心の底から本当に望んでいる、理想・目標に気づくことです。
メンタルを理想にふさわしい状態にするから、開運する
やりたいことがあったとしても、何をするにも不安や恐れがある
人生の中で悩みを抱えたり、うまくいかないことがある
そんなことがまるでなく、モチベーションを常に維持して、才能もあって、何においてもどんどん行動できる
そういう人は、稀なのではないでしょうか?。
悩みや自信のなさを抱えていても、目標や叶えたいことを持っていてもそれにむかって行動し続けることは可能ですし、悩みや不安を抱えていると自覚して、それを本気で解消しようと思う時にこそ人は変化を起こします。
もしその悩みや不安が、繰り返し起きてパターン化して、妨げを感じるのであれば、メンタル状態に制限があるからかもしれません。
そうしたメンタル状態の制限とは、あなたの成長過程の中で、
あなた自身に対して
あなたの行動に対して
あなたの考え方に対して
あなたの可能性に対して
あなた自身が、【ストップさせている】何らかの制限のビリーフ(思い込み)です。制限のビリーフがあると、あなた自身が気づかない制限となりあなた自身を苦しめるものになります。
行動したくてもできない
決めたくても決められない
自分自身はそんな人間ではない
物事は、そんなに甘くない
など
無意識下で制限的に信じているビリーフの通りに、あなた自身の全てを決めています。
表層意識では、理想や目標を持ちたいと願っていても・・・・です。
それは、あなたの無意識の中で【当たり前=信じている=ビリーフ】こととして存在しているため、自分一人で気づくことは難しいことがほとんどで、外部のサポートやセッションプロセスが必要となります。
今あなたが、望んでいることに対して行動できないと感じているなら、何がそれを止めているのか、あなた自身の心の中で起きていることを観察してください。まずは、あなたの内面にある思考パターンがあるということを知ることです。
多くの人は、自分自身の内面に、こうした制限思考があることにさえ気づいていません。
外部からのサポートやセッションプロセス以前に、あなた自身が本気で自分が変わることを決めない限り、人は変われません。
今のあなたの行動を妨げている、制限のビリーフが解放されると、あなたが本当に望んでいる理想がそれまでと違うものであると気づき、本当の理想を叶えるための情報が目につくようになります。そして何をしたらいいか?という本質的な疑問が明確になっていくのを感じることでしょう。
つまり、制限のビリーフとなっていたものが解放されると、脳のフィルターの目詰まりが解消され、自然とそれまで見えていなかったこと、感じていなかったことを、見たり感じられるようになります。
あなた自身の普段の思考に意識を向けてみましょう。
そして、それは本当のことだろうか?。それは正しいことなのだろうか?。
と自分自身に向き合うようにしてみてください。
理想のために何を行動してきたかで、開運する
世の中の成功した人たち/第一人者たち、が一様に言葉にするのが、
【自分が成功したのは、運以外のなにものでもない】
という言葉です。
あたかも、
- いい運に恵まれたから成功できた
- 何もせずとも、恵まれていた
と言いたげですが、
先人たちの偉業を知るにつれて、いいえ、現代においても
自分の理想を叶え、はたから見たら成功しているといった人たちは、何もせずに成功したわけではありません。そこに行き着く過程では、困難や苦労があり、人知れず思案し、行動し、その状況を手に入れたのです。
彼らの言葉の上部だけを魔に受けて、運を求めてばかり、運が欲しいと願い、運という曖昧なものを求めて、何かしらの験担ぎの行動をする。
特定の日に、神社に行ったり、物を捨てたり、財布を買ったり、
ということをして
いい運=富やラッキーな出来事
を呼び込もうとします。
そうした開運行動は、あなたの本当の望みとは見当違いな、あなたの望みとは無関係のものではないでしょうか?。
気分や感情をよくしておくことは、なにをするにしてもとても大切なことです。
本当に自分が望んでいることを手にして、開運をしている人たちは、自分の望みを理解し、そのためには【なに】をしたらいいかを理解していますし、その何かを準備するという行動を起こすことをしています。
つまり、
- 目標を決め、
- 必要な情報(知識)を入手し、
- 具体的なプロセス(ステップ)を実践している
ということです。
そう、つまりはコト=行動を起こすことをするのですが、そのコト=行動を何に対して起こすのか、ということをできるだけ具体的にしていくことです
その上で、するべきことをした上で、後は天に任せる(運に任せる)という心持ちを表すように、運を貯めるように良いことをしていくことをするのです。
例えば「文学賞をとりたい!」という目標があって、何も文章を書かず、神社にお参りに行く、人に対していいことをするということをしても、目標は叶わないのは当然だとわかるでしょう?。
思いや願うことはとても大切です。
人は、何らかの欲を持ち、それを実現させることを目指す生き物だからです。
しかし、得てしてスピリチュアル的な世界で言われている開運行動をするだけで、あなたが本当に望んでいることが叶うことはありません。満月にお財布をふりふりしてもお金が入ってくることは????。
それよりも、
自分でお金を稼ぐなにかを考えること、
自分が提供できる価値あるものは何か?
お金の使い方を見直す
などを考えることとの方が、よっぽどお金を引き寄せます。
理想のために、望んでいることのために、具体的な行動をなんらすることなく運だけにたよって叶えようという、都合のいい時に神様を利用しようとしていることに気づいていますか?。
自分が神様の立場であったらどうでしょう?。
普段はそっぽむいているくせに、困ったときだけ助けてくれ!という人は、(そういう人は少なからずあなたの周りにもいるはず)人を自分の都合で利用しようという人で、最初は低姿勢でもだんだんと礼儀知らずな態度となりがちで、そういう人とは関わりたくないと思うのではないでしょうか?。
運が欲しい、開運したい
という時ほど、これと同じような間違いをしがちです。
本気で、自分の人生の理想を叶えたいと願うなら、今一度自分自身がそれに対してどのような行動をしているのかを、見直してみることです。
望む通りの強運を引き寄せた人たち
何もせずに、強運をひきよられることはない。それは誰しもが知っている真実です。
ですが、それは後になって望んでいる理想を叶えることができたと感じることこそ、運を引き寄せられたと言えるのではないでしょうか?。
理想を叶えるために今できることを懸命に考え、それを一つづつ実践する。そうしたことをしているうちに、それに関連する情報や人材が引き寄せられ、状況が生み出され、望んでいたような形になっていく。そういうものではないでしょうか?。
運を引き寄せるための何かをするのではなく、叶えたいこと・理想を明確にして、手にするための行動を実践していくことこそが、運を引き寄せことになるということです。
そうやって、運、強運というものを現実として手に入れられた人たちは、少なからず存在します。
今回あげるのが、鎌倉時代の人物・北条時宗と、現代の人物・冨永愛さんです。
悲惨な厄災を避けることができた、日本人の誰しもが知っているであろう強運な出来事。それは、鎌倉時代に吹いたとされる【神風】のことではないでしょうか?。
1267~1275年の文永の役、1281年の弘安の役という二回にわたる元寇/蒙古襲来は、モンゴル帝国が北九州の沖合から日本に侵攻してきたという歴史上の出来事。
この元寇・モンゴル帝国の船からの侵攻を突然の台風が襲い壊滅させた、この時の風雨のことを、それこそ神による風・神風と呼び語られてきました。それはいつの頃からかはわかりませんが、その神力とも呼べる強運にあやかろうと、第二次世界大戦の時の無謀な特攻隊の名前ともなってしまいました。
しかしながら、この神風という強運が起きたことでモンゴル帝国の侵攻を防いだわけではありません。モンゴル帝国軍の船自体の不備や船で運んできた軍馬のトラブル、船内で発生した疫病など、多くの問題が発生したことが幸いしたのだとしても、日本側が何もせずにいたわけではありません。
昨年2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、鎌倉時代初めの2代執権となっった北条義時と北条家の様子が中心となって描かれました。
その関係もあって、鎌倉時代に起きたこの元寇のこともTVの番組で取り上げられ(私はそれ以前の何かの番組で知りましたが)、その当時、日本の舵取りをしていた八代執権・北条時宗がこの元寇をいかに防いだのかということについて、検証されていました。この出来事は、これまで広く知られてはいませんでした。
一部では、モンゴルからの使者を切り捨てたことで、
外交力がない
国際情勢を理解していない
などの現代的な視点で批判的な意見がありますが、それは現代的な平和な社会にある今だからこそ言えることで、モンゴル帝国によって、他の国が侵略されていたこと、次は日本に攻めてくるということは、早い段階で認識していたとされています。
日本より先に元(モンゴル)に侵攻されていた南宋から逃れてきていた渡来僧、蘭渓道隆や無学祖元らは鎌倉執権からの招きに応じて来日し、禅宗と同時に当時の世界情勢についての知識をも伝えていました。
一度目の文永の役では、火薬を使った鉄はうという大砲や毒矢、集団戦法などの圧倒的な兵力によって対馬や壱岐、北九州で激しい攻防がありつつも、陸から引き上げ船で一夜を過ごそうとしていたその夜に、暴風雨の襲来により元軍を撤退させたとされています。
二度目の弘安の役では、早くから博多湾に高い防塁を築き、多くの武士を防衛警護に当たらせていましたし、挙国一致大勢で望んでいました。
八代執権の座に着いた時、北条時宗はわずか18歳でした。同じ年にユーラシア大陸の全域に勢力を拡大し、隣国である南宋国、高麗までも征服していた元(モンゴル帝国)から日本に服属を求める国書が届き、御家人たちと協議し警護体制の強化:御家人の九州警備、防塁の建設、をしつつ、元には屈服するまいという強い意志を、元の使者の処刑という形で示しています。
すでに故郷の南宋が攻め滅ぼされ日本に逃れていた無学祖元から、元の襲来の予見の他に、
「莫煩悩」(ばくぼんのう):「わずらい悩むなかれ」
「驀直去」(まくじきこ):「振り返らず前に進め」
と伝えたとされています。この言葉は、若き執権にとってどれだけ心の支えになったことでしょう。
そして侵攻は三度あると予想していた執権・北条時宗は、その後も九州防備を続けたことで、御家人たちを結びつけていた褒賞のない勤めに不満んが生じたことがその後の鎌倉幕府、北条執権体制の瓦解へと繋がったとされています。
しかし、もし、元(モンゴル帝国)に侵略されていたら、今の日本の文化、日本語や、今の暮らしは創造されたでしょうか?。
元寇というと、神風のみがクローズアップさがちで何もせず神風のみで元軍を撃退できた、強運だったから国を守れたと思いがちです。しかし、調べると、神社や寺社が、元軍を撃退できた要因として祈祷による神力・神風によるものだと宣伝し、幕府に恩賞を求めたことが由来とか。
参考:Wikipedia:元寇
また2023年のNHKドラマ10よしながふみさんの漫画が原作の『大奥』が放映されました。映画にもなった吉宗と水野編で、徳川吉宗を演じたのが、トップモデルで女優でもある冨永愛さんでした。
以前から現代劇のドラマには出演しているのは、『グランメゾン東京』で拝見していましたが、今回初の時代劇で男女逆転した世界での将軍吉宗!。立ち振る舞いや乗馬姿のかっこよさは、大きな注目を浴びました。
その時のメディアでのインタビューに、
以前から時代劇に出演するのが夢だったので、個人的に殺陣や乗馬を習いながら来たるべき時に備えていた。このお話をいただいてからは、徳川吉宗の人物像を知るために、彼の伝記や文献、小説を読んだり、実際に和歌山にある吉宗ゆかりの場所にもいってきました。
参考:リアルサウンドhttps://realsound.jp/movie/2023/01/post-1231031.html
とありました。この言葉を見たとき、“自分のやりたいことを実現できる運を持っている人は、自分で考え、それに必要な行動をしているのだ”、自分もこうありたいと強く実感しました。
本当の意味で、強運体質になるためには?
私たちは、運が欲しい、強運を引き寄せたい、強運体質になりたい、などのように、なんらかの言葉の表現をして運というものを意識し、そしてそれを手に入れたいと望みます。
その時、チート技(不正、イカサマ、強力な性能、必殺技)を駆使しようとしたり、駆使するためにチート技ばかりを得ようとします。まるでゲームの世界のように、・・・。
しかし、現実世界では、強運体質を望む以前に、自分自身がどうしたいのかという、理想や叶えたいことが本心とは別のものであったり、ビリーフによって(社会や親の、それまでの経験の影響からそれを信じている)本心とは違うものが理想であると勘違いしたりしてしまいがちです。
そのために、本質的に必要なプロセスに対して意識が向かず、見当違いなことに注力しがちです。
そのために、理想にたどりついている行動をしている実感がつかめず、ますますチート技ばかりを求めスキルやノウハウ習得ばかりを求めてしまいます。果てはセミナージプシーに陥ってしまうのもこうした心理状態が働いてるのかもしれません。知識欲があるというと向上心としてポジティブに受け止められますが、知識や情報は使わなければ、読み終えた新聞と同じただの紙屑と一緒です。
また上記で述べたように、自分の理想を叶えている人は運を得ることから始めてはいません。
そもそも、運ばかりを求めてしまうと、前提意識から「自分には何も叶えられる能力がない」「自分は運が良くない(だから運が必要だ)」というセルフイメージを持つようになり、運を引き寄せられず悶々として理想を叶えられないというビリーフ(思い込み)さえ抱くようにさえなるかもしれません。
本当の強運体質になるには、
- 自分が望んでいること、目指している目標をきちんとわかっていること
- そののために必要な情報や知識を収集すること
- そしてそれを実際に使って理解を深めること
- メンタル状態を理想を叶えることに相応しいものにすること(情報収集に妨げとなる、制限となっているビリーフ(思い込み)の存在を知ってそれを手放すプロセスを取り入れること)
これらが、整ってくると、自然と望んでいることに必要なことが引き寄せられてくるだけでなく、自分自身もその理想に対して邁進することが普通になり、迷ったり不安になったりすることなく、やるべきことに邁進出来る様になります。
そうして行動していると、不意に応援してくれるような人に出会えたり、困難さを助けてくれる出来事に遭遇したり、情報やチャンスに恵まれるようになるのです。つまり、運は先に求めてばかりではなく、必要なことをしているうちに後からついてくる」ものだということです。