人は常に、何かしらの状況に置かれています
そうした状況は、
- 明日までに会議資料を完成させて、それを会議の参加者分プリントアウトしてまとめることだったり
- 子供の保育園の、連絡帳に記入しなければならないことだったり
- 光熱費や生活に必要なお金を、振り込まなければならないことだったり、
- 仕事を辞めたものの、次の仕事を探すことだったり
- 親の介護のために、公的な支援を受ける手続きだったり
- 閉店時まぎわに行ったスーパーで、安く買った食材をほぞんするためにどうにかしなければいけないことだったり
私たちが、置かれている状況は、些細なことから重要なことまで多々ある中で、何らかの選択、何らかの決断をしながら、行動することが求められます。
しかし、本来ならば、とにかく行動を起こすことが必要にも関わらず、多くの人はその状況をただ眺めることに費やしています。
その奥にあるのは、行動することで変わる変化への恐れであり、正しい選択をしようと考え込んでしまっている、ということではないでしょうか?。
しかし、
- 恐れれば恐れるほど
- 考えれば考えるほど、
- 行動しなければ、しないほど、
- 先延ばしにすれば、するほど、
置かれた状況の方が変化してゆき、行動しないことで追い詰められるのです。そして、人生が苦しい、人生がうまくいかないと嘆く。
そして、「自分はなんてダメなんだ」と自己卑下に落ち入り、ますます人生をダメにしているのです。
行動しないから、追い詰められる。そうした悪循環のループから抜け出すには、本当ならば行動するしかないのです。
行動しないから、「追い詰められる」とは?
些細なこと、重要なこと、どちらに対しても行動を起こせない
もちろん、何が何でも行動しろというのではありません。することがない、何をしたらいいかわからない、という状態に陥っている場合もあるでしょう。
重要なことほど、納得して決めない限り、行動していても、モヤモヤとしていい結果には結びつきません。しかし、行動できない、とにかく行動が遅い人は、ほんの些細なことでも、明確な目的があっても、やるべきことがわかっていても、行動をおこさない。ということがほとんどです。
そして、行動を起こさないがために、追い込まれるのです。
それは、行動を起こしたときには、置かれた状況が変化していてしまっているからです。
多くの成功している人の特徴としてあげられるのは、決断が早く、行動量が多いことだと言われますが、それはその人が何も考えずに、やったことが運良くうまくいったから・・・・と思われがちですが、そうした人たちであっても、なにか大きな出来事に対して悩んだり、思考したりということをしてきた経験があるからこそ、その経験(行動したこと)をもとに、素早く決断して、それに対しての行動を起こしている、という一面があります。
一方で、行動できずに状況に追い詰められる人ほど、些細なことであっても、決めるまでにとても時間がかかります。「繊細で慎重」といえば聞こえがいいですが、やるべきことがあっても、他のことで気を紛らわせたり、頼まれもしないことをしたり、と意識を集中させるべきところ(優先順位の決め方)、時間の配分がとても下手です。たとえば、
時間をかけなくてもいいことにも(たとえば同僚とランチのお店で何を食べようか延々と迷ってしまう・・・など)、時間をかけ、決められないがゆえに、決めたことに対しても「やっぱり違った」と時間をかけて決断したことなのに、それをくつがえしたり後悔してしまう。「やっぱりやらなければよかった・・・」というように。
あるいは、目の前には分かりきった問題があり、その問題に対して解決するには、〇〇をすることを対処的に行わなければならないのに、後回しにする。
目の前には、大きなゴミがあるのに(たとえば誰も住んでいない実家など)、それを退けるのに労力と体力とお金がかかる、として、面倒がっているうちに固定資産税が六倍になってしまった(特定空き家指定による固定資産税の増額。2023年度4月から施行)なんてこともあります。こうした法律の変更も数年前からわかっていることで、それに対処する行動を事前にしているかどうかです。
状況の変化があり、いずれやらなければならないことがわかっていながら、このときになったら困ったことになるとりかいしていながら、行動できない人は、行動しようともしません。現実を直視してしまうことを避けてしまいます。
- 〇〇は、経験がないから?
- 〇〇を、できる能力がないから?
- 〇〇を、知らないから?
いいえ。その言葉を、「私は、〇〇をやりたくない」に置き換えてみてください。
どうでしょう?、しっくりとくるはずです。
- そう、あなたは、やりたくないのです。本心では。
- そう、あなたは、避けて通りたいのです。本心では。
しかし、人は、やりたいことだけやって、生きていくことはできません。どんなに、自分が望んだことであっても、やりたいとして始めたことでも、必ずなんらかの「行う必要のあること」が発生してきます。
- 細かな根気のいること
- 苦手と感じること
- やった経験がないこと
- 身体的にしんどいこと
などです。
しかし、それらは、「やらなければならない」という状況ならば、やるしかないのです。けれど、ほとんどの人は行動を起こしません。
なぜなら、今までのままで、不満はありながらもなんとか生きられるからです。しかしそれは、状況が変わっているのを、気づかないようにしているだけです。見てみぬふりをしているだけです。


目の前にある問題に対しても、行動を起こさない
目の前には、何らかの問題があって、それに対して何をしたらいいのががわかっているとき、その問題は課題となります。しかし、それでも行動を起こさない。
- 失敗したくない
- 損をしたくない
- 間違えたくない
などの心理が働いていることが考えられますが、本当のところは「したくない」のです。
そもそも、行動を起こす数が少なければ、経験知が増えず、成功体験ができず、自分にとっての価値基準も上記のような狭い範囲のモノしか持てません。
もちろん、生きていれば突然、不意を突かれたような状況の変化に右往左往することもあります。今までの価値基準も成功体験も通用しなくなるから余計です。
私自身20代の頃は、楽しく働いて頑張ってきた仕事から放り出されたときには、恨みもしたし混乱もしました。思えば深夜まで終電がえりが続き、心身ともにばバランスを崩してしまっていたのでしょう。その仕事が校了したあと、自分の役割と置かれた立場に対しての不満、些細なことでも苛立ち、憂鬱になり、始業時間に行くことができず遅刻まみれな状態でした。頑張っても、望む立場が与えられず、結果、契約解除という形になりました。
だからこそ、思います。
心身両方の状態が、普通に生活できるレベルであれば、何かが起こるのを待つのではなく、とにかく身体を動かして何か行動をおこすことが大切です。
もちろん、行動するといっても、いきなり頂上にいくような登山のようなことをせよというのではありません。
些細なこと、日々の中で何をするかを決め、行動することです。
目の前にある問題を直視することです。その上で、それに関する小さな行動を起こす。起こして迷うことがあったら一旦止まることも可能です。
しかし、行動できない人というのは、些細なことでも行動しない。
自分の目の前にある問題であっても、事なかれ主義、自分ごととは捉えず、その場任せ。
だから余計に状況が悪化する。気づいたときには、その問題以外の問題が浮上してしまう。あなたの外側の状況は、常に変化しています。季節や気候が一定ではないように、私たちを取り巻く世界は、変化するものなのです。
その中で生きていく時、何もせずにいるままでは、未完了な問題が山積するのは当然で、気にしないようにしていても無意識的には、それらの問題に対して意識が向いているため、脳は休まることがありません。
つまり、問題を目の前にしてそれに対処しなければ、ストレスを抱え込みますます解決する脳のエネルギーを失うことにもなるのです。
未完了は、結局のところやらなければならないことを、先延ばしにしているだけです。やらないように、と逃げたり、避けてばかりいることで、本来ならばわずかであった損失が、大きなものとなって返ってきます。
だからこそ、行動せずに逃げてばかりいることは、人生を生きるにあたって損なのです。


とにかく、行動を起こそう
問題の山積み、それは、未完了な状態
と言えます。それは、何もせずにいて、見て見ぬふりをしていれば、気持ち的には安心かもしれませんが、無意識的にはずっと問題を抱えた状態となり、そのことにずっと引っ張られたままで、新しい何かや未来へ向かって動き出すことを引き止め続けます。
心理的な安全領域
それをコンフォートゾーンといい、人生の中で自分を成長させるには、このコンフォートゾーンを抜けることが重要だと言われます。しかし、いきなりこの安全領域をでろ!と言われても、大抵の場合は、そこから出ることはできません。なぜなら、外に出ることは、危険だから。
私たちの脳は、無意識は、動物を追って狩りをして食料を得ていたころと、そう進化しているわけではなく、ひどい嵐で狩りができず食料の手に入らない時には、じっと動かずに嵐が収まるのを待っていたことでしょう。しかし、本当に危険でしょうか?。
コンフォートゾーンを抜けられないのは、登山をしたことがない人がいきなり富士山登山を目指すような目標を掲げるからです。
富士山登山を目指すなら、何年もかけて体力をつける準備をする必要があります。
- 日々一駅分歩くとか、
- 月に一度は近くの低山のコースを歩いてみるとか、
- 自分にあった登山靴を買って慣らしたり
- 山に登るときに必要な防寒具はなにかを調べたり
- 登山中に必要な軽食や、道具の準備をしたり
行動できることは山ほどある。
にも関わらず、行動できな人は、失敗を恐れてしまう、完璧を求めてしまうがゆえに、行動できない。行動して、うまくかないことに対して、
- 「自分は、向いていない」
- 「自分は、ダメな人間だから」
- 「自分は、運がない」
というように、自分を人格的に追い詰める自己卑下に陥る。そうすれば、また行動しなくて済むから。
私自身、20代、30代は、こうした人格否定、自己卑下に陥っていました。今だって、うまくいかないことはありますが、昔と違うのは、これまでしんどい体験も、辛いこともあった体験があったからこそです。
最終的に一人になってしまったカフェの運営のとき、孤独で一人で涙が出たとき
母の具合が亡くなった深夜に、エンゼルケアに必要な着物をとりに家に戻り、終業まぎわのタクシーが病院に行ってくれたとき
父がコロナ禍に入院して運ばれた病院から、夜中に一人タクシーと電車で家に戻ったとき
などなど、大変なしんどい体験は、それ以外にもあります。
最近だって、五感力を鍛えるメールレッスンを改編するのに、一から文献を読み直して時間ばかりがすぎてしまったり、ようやくリリースしても登録解除されたりもします。
ですが、そんな大変な体験があっても、人格否定することも自己卑下に陥ることもなくなりました。そうした自分を経たからこそ、行動を起こさなければ何も変わらないことを強く実感するようになりました。
なぜなら、行動を増やせば、それだけ経験知が増えて次に何かを行うときに、もっとうまくできる知恵が備わるからです。
人は、一度で完璧に、正確に、望むようにできる、なんてことはありません。
そして、うまくいかないのはやり方を知らなかったり、自分の特性とは違うことに身を置いていたり、些細なことでも危険だと感じたり、うまくかない前提意識を持っていたりという、なんらかの理由があります。
それでも私たちは、生きていれば、うまういかないことに悩んだりします。
この年齢になって、思うのが、
- うまくいかなくても大丈夫
- 悩んでも大丈夫
それでも、あなた自身がなにをしたいのか、何が今課題としてあるのか、をわかっていれば、そのうまくいかないことを、<悩む>ということで、乗り越えようとしているのだということです。
悩むことも、うまくいかないことも、あなたがダメ人間だからではないのです。
そこで、自己卑下に陥って、行動を止めないことです。人という生き物は、本来<食糧を確保するために、動き回ること>をしてきました。その頃と今とでは、脳の機能はさほど変わってはいません。だからこそ、些細なことでも行動を起こすことです。
もちろん、「闇雲にこうどうせよ!」とは言いません。
なにかしらの、下調べや、動く順番の構築やイメージ、ということも必要になってくるでしょう。だからこそ、そのことに意識を向ける、そのことにどれだけ短時間に集中できる状態を作るか、ということが鍵となります。そうした時間は、モヤモヤとして「どうしようか?」と悩ましい時間でもあります。先に進みたいのに進めないもどかしさもあります。
<今日の悩み>は、<なにをしたいのか>、<今の課題は何か>と結びついた時、今、何をしたらいいかという一歩につながります。
あなたは、今日、何を行動しますか?


