今年に入って、実家と自室の物片付け、断捨離に取り組んだ私ですが、その多くは両親のもので、汚れていたり劣化したりで使わないであろう物や、自分のものも中には、ほとんど使っていない綺麗な状態のものもありました。そうしたものが500点以上で、捨てたり、売ったり。(多分、この後も微増していくと思います)
そうした多くのモノ処分したのは、将来の自分を想定した時に「要らない」と判断したからです。
これから先、自分が生きていく活動を、スムーズに身軽な状態で行いたかったからです。
しかし、部屋がモノで溢れている人、本当は片付けなければ・・と思っている方、ほどものへの執着が強くあって、なかなか物が捨てられないという人もいますよね。私の身近にもいます。そういう人ほど、たくさんの思い込み(制限的なビリーフ)を抱えていることが多く、そして物が捨てられず物で溢れれば溢れるほど、のちのちお金に困る状態におちいる可能性が高くなります。
もし今、あなたが、モノに溢れた部屋にいて、片付けたい、処分したい、けどでも・・・・とためらっているのなら、この先の将来の豊かさを手にいれるためにも、モノに対して持っている考え方、そしてその奥にあるあなた自身を縛る制限的なビリーフに意識を向けてください。
未来を本当に望んでいる状態にしたいのなら、今が、その最後のチャンスかもしれません。
物が捨てられない執着心の奥にある、幾つもの心の状態
「モノは大切にすべき」だから、「とっておかなければいけない」という思い込み
私たち、特に昭和を生きてきた世代は、
- 「モノは大事にしなければならない」
- 「モノには精神が宿っている」
などということを教えられて成長してきました。それゆえに、モノを捨てられずにいる高齢者の方も多くいます。
終活の一端は、「ものを片付けておこう」ということが必要とわかっていながら物が捨てられないとうのは、こうした考え方が根付いているのではないでしょうか?。とくに戦中戦後のモノのない時代に育った方は、こうした考えを信念として持っています。私の母もそうした一面を持っていて、スイカの包んでいる網状のひもをとっていたり、なにかの景品やら、たいして使わないであろう物がたくさんありました。
モノを大事にする。
それは、大切なことですが、その大切なモノを本当に大切に扱っているのかどうか?。
使っていないモノを山積みにして、ホコリまみれで手入れも掃除もしていないモノをとっておくことが、捨てないことが大切にすることでしょうか?。
使って、使って、そのモノとしての機能・能力を存分に使い果たしてあげて、ダメになるところまで使ってあげて処分する、とういうことこそ、そのモノとしての本分を全うさせてあげた大切な扱い方ではないでしょうか?。
じゃあ、「ほとんど使っていない新しいモノ」は処分しなくてもいいのね?と思うかもしれません。
「何となく、欲しい。好きなブランドの〇〇だから」と思って使うこともなくとっているものは、あなたにとって本当に大事なモノなのでしょうか?。「〇〇のブランドのモノだから持っているだけで満たされる」としても、もし片隅におかれて埃まみれになっているとしたら、それはもう心が満たされていないということ。
- もし、きちんと片付いているのならいいんですよ。
- もし、定期的に手入れをして綺麗にしているのならいいんですよ。
でも、捨てない人に限って、埃まみれにしたままだったり、掃除もせずに汚れたまま、整理しているようでモノであふれかえった空間、そうした状態でモノを扱っています。特に、多くのもので埋もれるほどの空間にいることで、
- ・多くのモノがあることで自由に動けない窮屈感、圧迫感
- ・いつも思考が散漫になり、迷ってばかりでいる
- ・なぜか疲れやすく、気力が続かない
という状態を引き起こしてしまっていることに気づかずに、人生がうまくいかないことに悩んでいるとしたら、それはあなたの周りにある多くのものからの影響とうことも、原因の一旦としてあることを認識すべきです。
あなたの脳は視覚を通して、周りにあるあらゆるモノを常に察知して過剰に働いては、緊張状態に状態になっているのです。それはまるで鬱蒼としたジャングルの中に一人佇んでいる状態で、どこから獣(危険)が現れるかわからない、脳にとってはストレスフルな状態と同じようになっています。
コレを捨てたらこの先、得られないかもしれない
捨てられない人の多くは、
- 今、これを捨てたらこの先、必要になった時困るかもしれない
- 今これを捨てたら、この先得られないかもしれない
と思う心理が働いて、捨てることに躊躇してしまいます。
しかし、今使っていないモノはこの先必要になることはほとんどありません。未来には、今とは状況が変わって別の何かを必要とすることがほとんどです。
そして、もし捨ててしまったら、「もう二度と得られないかもしれない」とう不安感から捨てることができません。
- 使ってもいないモノなのにです。
- ほとんど放置して手入れもしていないモノなのにです。
なのにその不安感は、どこから来るのか?。
それは、未来に対して希望を持つことができないことから起きます。
「未来がどうなるかわからないから、持っていよう」という心理状態、曖昧なわからない未来を感じているから不安で仕方がないのです。
そうした不安感のパターンは、得てして幼少期からの体験によって育まれます。過去に持っていなかったことでうまくいかなかったこと、あるいは、モノが絡まなくても自分が存在している場所が常にストレスを感じている状況にある(両親の度重なる喧嘩に接したり)、あるいは、他の安心感を感じることのない何かの体験、そうしたことが心理的なプログラムとなってモノがあることで、自分を守っていることさえあります。
あるいは、一番影響のある大人(ほとんどは両親)の口癖や、モノに対する接し方によって、「モノはいつ何時なくなるかわからない」「モノは大切にするべきモノだ」という思い込みを抱えて、それが心理的に不安感を生み出すことさえあります。
しかし、「もう手に入らないかもしれない」「失ったら困るかもしれない」という、【うまくいかないこと】に意識を向けてそう思えば思うほど、それが前提意識となって、うまくいかない現実を生み出し、さらには、不安の奥にある「自分はお金がない」「自分はお金が得られない」「自分は買うことができない」という制限的なビリーフ(思い込み)を強化することにもつながります。すると、思考が停滞して固着し、将来的にますますお金に困る未来を引き寄せることになります。
さらに言えば、不安だからとモノに執着して捨てない行動をすればするほど、その不安感や執着さらには、無意識にある「お金がないから」という感情を強化します。
これは自己創造の原則と呼ばれる心理法則からも言えることで、「人格は、日々創造、再創造されていくもの。それは、私たち自身によって、私たちの自発的な行動によって創造されていく。この精神形成、精神維持は、人間性の法則に従って行われる。自己創造の原則とは行動するたびに、その行動の裏にある動機となる感情、姿勢、信念を強化する」とされています。
無意識にある心理状態は強力で、それを実現するようにと動き出すのです。
私自身、今回の土星の牡羊座期にそのことを強く感じました。無意識にある思い願望が表面化して実家と自室の片付け・断捨離が起きてみると、それらは以前漠然と「こうなるといいな」という願望がことが形となっていたのです。しかし、日々の忙しさの中でそれを実現することなく忘れていました。
ふとした想いというのは、無意識から浮かび上がってきた本心、願望であるけれど、日常の忙しさや顕在意識で感じている想いの方が優先されてしまうため、埋もれやすいんです。それでも、無意識レベルで望んでいることは、絶妙なタイミングで必要なタイミングで現実化を起こします。

本来ならば、新しいコトやモノを取れることで人は進化します。
これは何も、気分やメンタルのことを言っているのではありません。身体的な構造としても人の脳は、使わなくなった神経回路は結びつきを弱める一方で、新しいことを学んだり経験することで神経の結びつきを組み替えたり調整したりしています。
この神経可塑性という脳神経の作用では、私たちは常い新しいことを学習するようにできており、その新しいことを繰り返し意識したり行うことでなり新しい神経回路の結びつきを強めます。他方で、認識しなくなったり行わなくなったことに関する、使わなくなった神経回路の結びつきは整理されていきます。
これは、意識的に変化しようとすれば、本来人は変わることできるということを意味します。
不安から手放せない、モノに執着しているというとき、あなたは、変化することを止めている状態です。人生を良くしたい、お金をもっと得たい、仕事を獲得したいと表面的にはいいながら、何も変えようとしない、使わないモノがある環境を変えることをしない。それは、過去のままでいることを、変わらないことを無意識に脳に選択させている状態なのです。意識的に環境を変えて行動することこそが、人生を変え、本心から望んでいる人生の豊かさをにすることにつながるのです。
あなたにとっての、モノの重要性を再認識すること
人が、「モノが重要だ」というとき、それが自分自身にとって必要で、それから何かが得られる、何かをするのに必要不可欠だからです。
その必要性のポイントは大きく2つ。①機能的(行動的)必要性、②心理的必要性です。
あなたが行動する上での必要性で、機能的な点で他に代わりがないために重要。
便利で、時短ができて、労力をかけずにできるため、必要だと感じるのです。
- 自動的にゴミを感知してくれる掃除機のルンバ
- 取手を引っ張ることでみじん切りができる、ブンブンチョッパー
- 文字を入力することでペンで書かなくてもテキスト化してくれるパソコン
- 赤ちゃんを抱っこする・抱っこ紐やベビーカー
- 材料を入れてスイッチを入れるだけで煮物ができる電気鍋
- プレゼンテーションをする時のポインター
など、生活や家族構成、仕事の状況によって必要、機能的、効果的、だと思うモノであれば、必要であり重要なモノだとし手に入れる対象となります。そしてこれもまた、状況が変われば重要性が代わり、手放す対象となるものが出てきます。
赤ちゃんが大きくなれば、抱っこ紐は不要になる
時間ができて鍋でコトコトと料理したいと思えば、電気鍋を手放す
などは当然のこととして起こります。
そのモノがあることで、癒される、安心する、嬉しい、満たされる、など心理的な必要性を感じる。そうしたモノを手に入れ重要な存在だと感じるのです。
- 自分の趣味に使う道具
- 自分が好きだと思っている推しのグッズ
- 持っていることで気分が上がるハイブランドの何か
- 着ることでテンションが上がる洋服や靴
- 一つ集めると他も揃えたくなるフィギュア
- 好きな映画のDVD
- 漫画本、書籍
- などなど
実は、「モノが捨てられない、モノに対して執着心がある」というのは、この心理的必要性が絡んでいます。
本来ならば、使わなくなったものでも、それがあることで、過去の喜んだ自分、安心した自分、嬉しい自分、満たされた自分の心理状態になれる心理的安全性(セキュアベース)を獲得したいからです。私たちの脳は、無意識的に安心安全な状態を第一に優先しています。それは、外的から身を守り生き延びるために生命に備わった、動物的な欲求といえます。
私たちは生まれてから、今日の大人になるまで、何らかの環境にいました。安心できる空間にいることは、自分が大切に扱われ、居心地の良い空間がそこにあることで、自由に自分らしく振る舞えるようになります。
それは、大人になってからも同様で、心理的安全性(セキュアベース)を確立している人は、どのような場所であっても自分にとって居心地の良い環境に変えることができるため、いろんなことに挑戦したり、外にむけて行動を広げることができます。何か外で厳しい出来事に遭遇したとしても、そこに戻れば安心できる場所があるというのは、自分の存在性を肯定的に捉えることができます。
しかし、多くの人はずっと安全な環境や状況でいたわけではありません。
- 赤ん坊の頃は、お腹が空いて泣いてもお母さんが他の用事を優先して放っておかれたり
- 小さな時、自分を放っておいて、両親が喧嘩をして怒鳴り声がするなかで、体を身を縮めていたり
- 学校に行くようになって、テストの成績が悪いのを酷く叱責されたり
- 自動車の交通量の多い道路を歩かざるを得なかったり
そうした環境や他者との関わりの積み重ねは、心理的安全性の獲得とは程遠い心の中に「この世界は危険だ」というプログラムを根付かせます。そして、自分の存在価値にたいするセルフイメージである【自己重要感】を低いモノとして捉えてしまう。
この自己重要感の満たされない低い心理状態になると、周りにモノを集めることで、モノをかかえこむことで、心理的安全性を獲得しようとし自己重要感を高めようとします。
ただでさえ、現在では、SNSを通して、さまざまな危険な環境であることを必要以上に煽る情報に接する機会が途端に多いため、不安や恐れが蔓延しやすい環境です。
だからこそ、自分にとって本当に安心できる環境を選択する、今の自分に相応しいモノは何か、未来の自分に相応しいものは何か、という視点で、自分で作れるセキュアベースを作ることがとても重要になります。
自分は【重要な存在ではない】という心理を、モノで満たすことで保っている
私たちは、モノを選ぶとき/捨てるときも、そこに自分の価値観を反映させています。
価値観とは:
自分にとって大切だと思うこと、重要だとする考え方、のことで、それを基準にして物事の判断をしています。価値観の基準となることを価値基準といいます。
価値観では、好きな/嫌いなモノ、快適だ/不快だと感じるモノの選別も行っています。
モノを処分するというのは、この価値基準の見直しになるのです。
あなたの周りにあるモノ、それは、かつてのあなたにとって大切で、必要で、快適で、好きな何かだったかもしれません。しかし、大人になったあなたは、そのモノを手に入れてから時間の経過した今は、価値基準も変わり、あなたにとっての重要性(大切さ、必要性、快適さ、好き)も変わってきていることさえあります。モノを処分する時、モノと向き合うことで、自分自身の変化した価値基準に意識を向け、気づくことができます。
「自分は、変わらないんだ」「いつでもこれが重要なんだ」と思っているとしたら、
- 変わることを拒んでいる?
- 変化することを恐れている?
- まだ重要だと勘違いしている?
ほんとうにそれは、あなたにとって重要なものですか?
それでも頑なに捨てられないというのは、モノがあることで、自分の心の満たされないことをモノで埋めようとしているからです。心の満たされない状態、それは、自己重要感の低さです。
(自己肯定感という方もいますが、自己重要感は、自分の存在の価値の指標であり、自分自身はこの世に生きている意味がある存在であるかどうかという存在に対しての自己評価であり、意味づけであり、セルフイメージです)
この自己重要感が低い満たされないとき、人は、別の何らかの方法で自己重要感を埋めようと試みます。
- 他の誰かに、自分のを認めてもらうための過剰な努力(承認欲求お化け)
- 「自分がそうしたいから」よりも「誰かのために」を主目的にして行動する(存在意義の確認)
- ハイブランドのファッション、モノ、高級車、学歴、社会的身分が過剰に気になり手にいれる(権威性の獲得)
- 過去の自分の自慢話ばかりをしている(他者との差別化意識)
- 横柄な態度をとる(自分は他の人とは違う・差別化意識)
- 病気、身体的不調が多い(他者の同情を引いて関心や愛情を向けさせる・二次利得)
- SNSの見過ぎや<いいね>をやたら行う(他者と自分を比較、他者を認めて自分を認めてもらいたい)
- 他者へ意味のない批判、けなす、悪い噂話(人を貶めて、自分の凄さをアピール)
など、自己重要感は何らかの形で誰でも持っているモノですが、自己重要感の低さを手放すことで何かへの意味のないこだわりが消え、自分が望む自由な変化を得られるようになります。

モノを持つことで満たす自己重要感は、モノがあることで安心感や満たされた感覚を持ちますが、それは時間と共に変化していきます。すでに手に入れた時の満たされた感が失われ、本来ならば必要のなくなったものにまで、所有することで安心感を持続させようとしています。
もし、今もそのモノが、使っていない、埃まみれで汚れている、状態であれば、神経回路の仕組みと同じで、そのモノはすでにあなたの中で【重要な存在ではない】のです。
そんな状態にしているということは、大切に扱っていないのと同じです。大切なモノであれば、大切なモノとして扱っているはずで、すでに価値観が変わり、そのモノへの大切さ重要性、必要性も変化しているのです。
モノを手放す行動は、それに気づけるかどうかのいいチャンスで、人は自分の価値観に気づいた時、大きな決断、大きな変化へと動くことができます。

【重要か/重要でなはないのか】を強く認識することが、モノを手放す第一歩
ここで言いたいのは、なにも、
- 使っていないモノなら捨てろ
- 身の丈に合わないものは捨てろ
- 自己重要感を埋めるためのものは捨てろ
と言いたいのではありません。
あなたの周りにあるモノたちは、あなたにとって、本当にとっておくべき大切なモノですか?
今のあなたの心の状態は、どのような状態ですか?
あなたの理想は、どのようなものですか?
今のあなたは何を優先して、この先どんな行動をする必要がありますか?
という問いかけです。
モノが捨てられない人ほど、
- 欠けた茶碗
- 毛玉のついた衣類
- サイズの合わなくなったジャケット
- 起動しなくなったパソコン
- 書きにくくて使わなくなったボールペン
- ほとんど使わなくなっている道具
- 取るたびにどこかに引っ掛かるハンガー
- 着るたびに重くて疲れるコート
- 匂いの嫌いなシャンプー
- 滑りやすくなったヨガマット
など、状態が悪くなったモノでも、心地よいと感じないモノでも、些細なこととして、なんとなくまだ使うかも?ととっておこうとしがちです。
こうしたモノが積み重なって、動くたびにぶつかりそうになるモノで溢れた部屋になり、床置きしたモノを毎晩ずらして床面積を広げて作業する、などを繰り返しています。
こうしたことの繰り返しが、マイクロストレスとなっていきます。
マイクロストレスとは:
日常の些細な不快感、違和感を感じる出来事によって生じる微細なストレスのことで、大した問題ではないように感じていても、無意識的なストレスの積み重ねによって心身に負担がかかり、メンタル的な不調や身体パフォーマンスが低下する可能性があるとして、近年注目されているストレスパターンです。
モノが捨てられない人の多くは、もともと上記で述べたような心理プログラムを持っている可能性がありますが、日常を過ごす空間にたくさんのこうしたストレスになりうる要因を多く持っている可能性が高いのです。
そして自分のストレスや不快感に気づかずにいることは、自分自身を大切にしない行為そのもので、自分で自分を粗末に扱う行為ともいえます。
- いらないモノ使っていないモノ
- ストレスを感じる(感じないようにしている)モノ
を処分するのは、一番大切にするべき自分自身を大切に扱うとても重要な行為です。私たち、戦後の日本人のほとんどは、モノがあることが豊かさを表すモノとなっていましたし、モノがなくては生きていくことも不自由になりました。逆にモノがあることで、そこに縛られているということも事実です。
だからこそ、
あなたにとって、なにが重要で、何が重要ではないのか?
モノと対峙することで、今考えるべきはそのことなのです。
モノを捨てることで人生が変化するというのは、その奥にある価値観の変化、自分自身の心の状態(自己重要感や思い込み、悩み、願望)を見つめるという行為があるからこそで、単にモノを捨てただけ、モノを外に出しただけでは、得られません。
「環境を変えても何も変わらなかった」という人のほとんどは、こうした自分の内面の意識との対峙のないまま、作業として環境を変えたり、モノを捨てているだけなので変わるわけがありません。
あなたの周りにあるモノたちは、あなたの心理状態と密接にリンクしています。過去の体験の記憶にもリンクしています。そのモノをどう扱うかで、人生は大きく変化します。それは、あなたの内面の状態がモノと対峙することで、あなた自身が(あなたの脳のプログラム)が変化を起こすからです。
今は、特に2025年9月23日の秋分の日を境に、現実化がさらに加速すると言われています。物事や社会が大きな変化へとシフトしていく中で、過去のモノに子こだわりすぎることは、変化できず過去の次元のままでいることになります。
ものを抱え込みすぎて、ものに対してこだわりすぎて手放せない状態は、人生を詰むことにもなりかねません。
詰むとは:
物事がうまくいかなくなった時(就活の失敗、借金、自己破産、失業、家を手放すなど)、生き方が思うようにいかなくなった時に使われる言葉。
どうにもならない、手詰まりの状態、打つ手がない場外、行き詰まって身動きが取れない状態、もうダメだと感じている状態、どうにもならないと諦めている気持ちの表現
今のあなたには、まだ、やれることはあるのです。
もうやれることはない、と頭の中で一杯一杯になっている状態で、物事が解決することはありません。私も以前は頭でばかり考えてしんどくなっていましたから、わかるのです。
そうした行き詰まっている時ほど、身体を動かして、まずはあなたのできること、今いる環境の、あなたの身の回りにあるもの、それを見回して必要/必要ではないと思うものを、思いっきり捨ててみる。
それは一気にはできません。
とても疲れる行為です。
ですが、そうした作業をする中で、思考が軽くなり、あなたの中に未来を描く空間ができるのです。
