モノの値段は高いし、給料は微々たるモノ、年金も年々減らされる
- 「そうなると、節約しなきゃ」
- 「欲しかった〇〇、我慢しよう」
- 「三円安い、あの店まで行ってみよう」
そうなりますよね。私も食材、特に肉魚はお値ごろ日に行けたら買っとくようにしています。食べることにさほど執着を持たなくなったこともあって、産地や原材料はわかりやすいものにしていますが・・・。
しかし、もし、この思考がいきすぎて、あれもこれも節約、倹約、になってしまわないように注意が必要です。なぜなら、この考えがいき過ぎると、<清貧思考>と<我慢のしすぎ>におちいりがちになり、そしてますます人生が窮屈でお金が入ってこないようになるばかりか、人生全般であなたの理想とする豊かな生き方が、どん詰まりにもなりかねません。
なぜなら、<清貧思考>と<我慢のしすぎ>は、あなたの無意識に「自分はお金がない」「お金は入ってこない」「自分はこれ以上豊かになれない」「自分には価値がない」ということをインプットし、実際にその通りの現実を作り出すようになるからです。
これは、間違った清貧思考であり、間違った節約であり、人生をますますダメにするパターンです。
そして、そればかりか、あなた自身のセルフイメージも低くしてしまい、人生が思うようにいかない、失敗ばかりを繰り返すようにもなってしまいます。
間違った清貧思考が人生をダメにする理由/その解決方法
清貧の本当の意味を知ること
清貧とは:
私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること。コトバンクより
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「清貧の思想」とは:
作家・ドイツ文学者の中野孝次が1992年に出版した書籍、およびその書名によって広まった、物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを重んじる生き方や価値観を指します。
「清貧の思想」の核心:
清貧の定義: 単なる貧乏とは異なり、自らの意思で過剰な所有を否定し、つつましく質素に暮らすことを指します。これにより、心の自由と精神的な充足を得ることを目指す。
モノとカネからの解放: モノやお金に振り回される人生の幸福を問い直し、物質的な価値ではなく、内面の価値を尊重する生き方を提示しています。
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こうした視点で見ると、清貧思考の根底には、ミニマリストにも通じる、モノやお金に対してのシンプルな考え方があることがわかります。考え方、価値観がしっかりとあってこのことで、単なる貧乏とも経済観念を無視することとも違います。
しかし、この清貧思考も間違った捉え方をしてしまうと、今の状況をネガティブに捉え、「ものがない、お金がない」ことを受け入れ、必要以上に我慢してしまうことをしがちです。
そして、「今貧しくても自分の行いを正しくして真面目にしていれば、いずれきっと報われる。お金に不自由せずに豊かになれる」という勘違さえしてしまいがちです。
「清く貧しく美しく」なんて標語もあったぐらいです。

ハレの日とケの日の、お金使いを間違えてしまう
かつての日本では、上記のように、「今お金がなくても、いずれ良くなる」そう考える人が多くいました。それが高度成長期を支える考え方の根底にあったとも言えます。
- 今のように海外旅行が当たり前ではなく
- 外国の食べ物やブランドが豊富にあるわけでもなく
- コンビニがあちこちにあって、すぐに食べたいものや甘いモノが手に入れられるわけでもなく
- 今はいつでもスーパーにあるカルピスは、夏のお歳暮でいただく特別なものでした。
日々の暮らしの中で、
- いざという時に着る、一張羅(上等な晴れ着)
- 誕生日やデパートに出かけるとき
- お正月やお祝い事のある時の特別な食事
そうした非日常の特別な日が【ハレの日】で、お金を使う贅沢をする日があるという時代でした。ものがないのが当然で、モノのない時代だからこそ、TVや冷蔵庫、炊飯器、クーラーという白物家電が揃っていくことが贅沢な、特別なモノだった時代です。私自身もそうした昭和の時代に生まれ育った人間ですから、肌でそれを感じてきました。
【ハレの日】はお正月や節句、お祝いなど非日常の特別な日を指し、【ケの日】は日々の日常的な生活を指します。【ハレとケ】の概念は、民俗学に由来し、日本人は非日常と日常を使い分けることで生活のバランスを取り、心身の健康を保ってきました。
【ハレの日】と【ケの日】があることで、お金をどこに使うのか、どこにお金を使うことで心の豊かさを感じるのか、使うところと、使わないところの線引きがキチンどできていたということです。つまりその人にとっての【物事への価値観】、【お金に対しての価値観】が伴っての振る舞い、お金の使い方であることです。
しかし、これだけモノの多い令和の時代であっても、モノを持つこと、外国のハイブランドのものを持つこと、家、車を持つこと、が【ハレの日】の、特別なものであることに変わりがない一方で、そうしたものを手にいることが、金銭的に無理なことや、そもそも派手なものを持つことそのものに関心のない若い世代の人も増えています。
特にこの数年の物価高、賃金はこの三十年大きく変わらない(変化しても微増)、積み立てていたはずの年金もますます支給額が減っていく・・・。そんな日本のなかでは、モノを買わない、切り詰める、というお金を使わない節約思考になりがちです。
その反動で、我慢しすぎることで、ある日
- 「それ、本当に要る?」というようなモノを買っていたり
- 買い物欲求に見舞われて、衝動買いしてしまったり
- 買ったはものの使い勝手が悪く、使わなくなってしまう
普段の食事は、食事の程をなしていない栄養ゼリーやレトルト食品で済ませ、他の生活必需品も格安品ばかり。そうしてお金を切り詰めて、ブランドものや洋服で身を固める。そんな生き方を揶揄した歌もかつては存在しました。
上記で述べた【ハレの日】【ケの日】の、メリハリのあるお金の使い方と、衝動買いや日常の食事を切り詰めてハイブランドのバックや洋服を買うこととの違いは、どこにあるのか?。
それは、普段の日常の中で、自分の心を満たしている生活をしているか、自分を本心から大切にしている扱いをしているのかどうかの違いです。
一見、欲しいモノを買っているのなら、「ハイブランドのバッグや洋服を買うことは、自分を満たしてくれる。いい気分にさせてくれるから、自分を大切にしている行動でしょ?」と思うかもしれませんが、日常の自分を粗末にしている段階で、もうそれは自分を大切にしていないのと同じです。自分を価値ある存在として扱わないのと同じです。間違った行き過ぎた「清貧思考」と同様です。
日常生活のお金を切り詰めるハングリーさが、悪いわけではありません。
それを、楽しんでいたり、平常心や前向きな気持ちで取り組んでいるのなら、何ら問題はありません。「ケの日」を実践しているのと同じです。
しかし、そうした日常の中でも、自分を労る食事や時間や生活を取り入れていないのであれば、それは自己重要感の心のコップを自ら少なくしているだけで、心のコップを満たそうとハイブランドのバッグや洋服を求めて勢いよく注いでも、溢れ出てしまう。結果として自己重要感のコップは少ないままです。
自分自身を価値ある存在として、無意識レベルで思っているかどうか、それは自己重要感が左右します。
- 自分は、ハイブランドのものを持たなければ価値のない存在
- 自分は、普段から我慢し、節約しなければハイブランドのものは、持つ資格がない
- 自分はお金がない、だから、我慢しなければ、欲しいものは得られない
という、自分を卑下する言葉を語り続けることをしているのと同じで、自分で自分にネガティブな自分像をインプットしているようなものだからです。
そうした思考は、毎日、日々の中で繰り返されるごとに、無意識下に蓄積していき脳のプログラム化(パターン化)を引き起こします。無意識(潜在意識)の力は強力で、物事を判断や思考、感情の呼び起こし、何かに対する反応を、自動的に(気づかないうちに)行います。「こうしよう」という意識(顕在意識)もの2万倍ものエネルギー作用があるとされていて、気づかない分さらに強力に人生に影響します。
普段、我慢しているけど、望んでいることをしてるなら、プラマイゼロでしょ?と思うかもしれません。
しかし、ハイブランドのものを手に入れて、その後本当に、心が満たされているでしょうか?。毎日使って、ニマニマして嬉しい気持ちになっているでしょうか?。
自己重要感を埋めようとしてハイブランドのもを手に入れても、「自分に価値がない」と思っているままであれば、それを繰り返すだけです。つまり、ハイブランドのもでは、自己重要の低い心のコップは満たされないのです。
【自己重要感の高さ/低さ】は幼少期の体験に紐づきます。生育体験の中で、無条件に「自分は愛される存在だ、自分はこの世に生きてきていいんだ」という無意識レベルで感じ取れる体験があると、自己重要感は満たされ、何をするにも自信を持って行えたり、自分の中に価値を見出せることで、お金の巡りが良くなったりします。
逆に、「自分は愛されていない、自分はこの世に生まれてきてはダメだったんだ」という自己否定するような出来事の記憶があると、自己重要感のコップは満たされず、自分は何をしても認められない、価値のない人間だ、この世は危険なところだ、などと無意識レベルのビリーフを抱え、人生の中で行き詰まりや停滞感、失敗体験の連続、そしてお金に困窮することが起きます。
私自身もNLPを学ぶまでは、「社会の中で認められたい」欲求が強く、やりたいことをやってはみても、お金がうまく回らず、「お金の管理ができないダメな人間だ」という間違った思い込みを持っていました。その根底にあったのは、親から否定されてきた体験でした。
ハイブランドのものを手に入れるために、日常の食や何かを節約しすぎることと、日常の【ハレの日】、【ケの日】と違うのは、お金をどこに使うのか/使わないのかをの基準をきちんと持っているのかどうか。その基準は見栄や自己重要感を満たすためだけに高いお金を払うことの意味のなさ、心をきちんと満たしてくれるのか、必要なものなのか、という自分自身価値観の理解です。
そして【ケの日】であっても、穏やかに心が平穏で満たされている状態を持てていることです。もちろん日常を生きていれば、常に穏やかなことなんてありません。不快な人との会話や、買い物にでたのに財布を忘れたり、誰かにぶつかって怪我をしたり、喧嘩したり、なんてことも起きるでしょう。しかし、それを解消するために使うお金、はとても注意が必要で、間違えれば必要ののないものを買う、衝動買いが発生するからです。
それでも、我慢ばかりの節約、間違った方向での清貧思考によるものと、心ゆたかな時間の多い「ケの日」とでは、無意識に働きかけることの差は歴然です。

我慢ばかりしている節約や間違った清貧が、ますます人生をダメにする
我慢ばかりしている節約、間違った清貧思考、それがどのようなことで、どのように影響するのかを、四つのパートでお伝えします。
- 衝動買いをしてしまう
- マイクロストレスを生み出す
- 脳に「お金がない」をインプットし続ける
- 我慢がつのり、人にも強要する
①衝動買いをしてしまう
結局のところ人は、節約ばかり、お金を使うのを我慢ばかりしていると、反動としてなにか必要のないモノまで買ってしまうように、お金を使うことはごく自然な人としての衝動の一つだということです。
私たちは、今のところお金を使わなくては、生きていく、生活していくこと、が成り立ちません。
それには、生活する上で必要なモノを買うこともあれば、心を満たすために買うものもあります。
その衝動(欲)を、我慢ばかりさせてしまうことで、反動として【本当は必要のないもの】、【心を満たしてくれないもの】を買ってしまうことがあるということです。お金を使うことそのものが、欲を満たしてくれるものにすり替わってしまう。
衝動買いという言葉があるように、
- その時の衝動で、満たされない感情を埋めるために気安く手に入るものを買うことを繰り返したり
- すでにあるものを(知っている、買いやすいという体験から)買ってしまったり
- その時点では必要のないものにお金を注ぎ込んだり
- 他者が望んでもいないものを「その人のために」と与えたり
ということにお金を使ってしまいます。
つまり、その場任せの感情や衝動で、お金を使う行動を引き起こしやすくなることです。
②マイクロストレスを生み出す
【間違った清貧思考】におちいると、【モノが捨てられない人】にも通じますが、欠けたモノ・不備のあるモノを、「まだこれくらいなら使えるかな」として、節約して変わりのものを買おうとしなくなります。
- 欠けた茶碗や食器
- サイズの合わなくなったキツイジャケット
- 毛玉のついたニットなどの衣類
- 黄ばみの出た白いストール
- インクの切れかかった書きにくいボールペン
- チカチカと光る電球
など、
日常生活の中での不快をそのままにしてマイクロストレスを生み出し、身体的な不調(頭痛、不眠、胃腸の不調、など、)、イライラ、集中力の低下、不安感、憂鬱、などの精神的な症状を引き起こす可能性さえあります。
マイクロストレスとは:
日常生活の中にある些細なストレスの積み重ねが、気がつかないうちに心身に負担となっている状態。仕事、人間関係、周りの環境、人との会話、ものを扱う時、接する時に受け取る感覚から微細なストレスを感じる状態
それはものに接する時も同じで、小さな違和感や不快感を感じること、イラッとすることなどが繰り返されながらも、その状態を維持し続けたためにそれが大きなストレスとなってしまう状態で、それは「このぐらいならまだ使えるかな」という、「もったいない」気持ち、行きすぎた清貧思考から起因しています。
なんでもかんでもお金を出して「真新しいものにしろ」、「豪華なものにしろ」と言いたいのではありません。お金がないのにハイブランドのものを買ったとしても、使い道がなければ、お金出しただけの浪費となります。
最低限の五感の感覚で不快だと感じる感覚を持ち、その不快だと思うことには、「お金をきちんと出しなさい」と言いたいのです。「まだこのぐらいなら使えるかな」「もったいない」と思う人に限ってそうした些細な不快には無頓着で、無意識的なストレスが、そうしたものから発生していることにきづきません。
そうした方は、精神的な部分ばかりか、身体的な不調・不快に対しても無頓着です。
③脳に「お金がない」をインプットし続ける
そして、必要以上に節約したり、間違った清貧思考になることのマイナス面は、「自分にはお金がない」「自分はお金を得る価値がない」「自分は高いものは嫌いだからいい」という思考を、脳(無意識)にダイレクトにそれを植え付けることです。そして無意識にインプットされたことが、その人の現実として「ますますお金がない状態」「お金の減る苦しさ」を生み出す状況になってしまうということです。
私たちの潜在意識は、気がつかないうちに現実を生み出しています。
人が意識して「こうしよう」という時に使われる顕在意識と比べて、2万倍ものエネルギーをもっているとされている潜在意識は、【過去の体験から学んだこと】、【繰り返された言葉】を、「重要なことだ」、「価値のあることだ」、「信じるべきことだ」として記憶し、脳のプログラムとしていきます(パターン化する)。そのプログラムを作動させる最前線の司令基地として無意識は、自動的に振る舞い方、行動、思考、感情をそのとおりに引き起こしています。
無意識はその人の中にある意識構造ですが、集合的無意識として、他の多くの人の無意識と繋がっているとも言われています。無意識にあることが、引き寄せや現実を生み出す、もう一つの側面はこの集合的無意識によるもので、だからこそ、この無意識下にある意識がどのようなものかがそのまま現実として現れやすいのです。
しかし、この無意識も固定的なものではなく、顕在意識にあげて気づくこと=意識化することも可能です。それには、他者からの働きかけや、こうした心の働き、無意識の働き、脳科学について知ること、自分が感じていることに常に意識を向けること、が大切です。
④我慢がつのり、人にも強要する
「節約しよう」「買うのを我慢しよう」が行きすぎると、<清貧思考>と<我慢のしすぎ>を生み出し、それがお金の不自由さを加速させる
ということをここまでお伝えしてきました。
しかし、影響は、お金のそれだけではありません。
私たちは、何かを行動するにしても真っ先に【お金がかかる】と考え、【お金があるか/否か】【お金を出すか/出すまいか】を結びつけます。そして、お金がないとなると、行動することを我慢し、「それを諦めるしかない」として「そうしたい」感情を無理やり留めてしまいます。つまり我慢してしまう。
【行動するか/しないか】の基準を、お金のあるなしで決めてしまうのです。
しかし本来ならば、【行動するか/しないか】は、あなたが「その行動によって得たい何かがある」からで、行動そのものを止めるのと同時に、その得たいという欲求も止めてしまうことになります。
本来ならば、その行動にはお金のかからない場合もあるし、必要であれば、お金を貯めたり、副業をしたり、手持ちのものを売ったり、と何らかの方法でお金を作る」ということで可能にすることもできるのです。
しかし、我慢ばかりしている節約や間違った清貧をしていると、常に行動とお金を結びつけ、「お金がないからできない」と我慢することが慢性化します。
あるいは、「お金がある/ない」基準としてしまうと、いざ行動をしようとしても、間違った判断や心の余裕がある時ならしないであろう失敗をしたり、ということを引き起こしがちです。
貧すれば鈍するそのままです。
過剰なお金の節約、お金の我慢は、行動の我慢につながり、誤った判断や行動を引き起こすのです。
これは私も経験があり、既存のアプリであることができないか?とiphoneのある機能をONにして、操作が全くできなくなりApple Storeに駆け込んだ経験があります。結局機材を買うことを躊躇っていたことから起きた出来事で、貧すれば鈍する」をやってしまったのです。
そして、行動の我慢は、他者にも我慢を強要するようにもなります。
そして、他者(特に身近な家族)との関係で、トラブルを生じます。他者(身近な家族)が、自由に振る舞っていたり自由に何かを買ったりすると、イライラしたり喧嘩したりもします。他者の稼いだ、自由に使えるはずのお金なのにです。
他者にもそれを強要するようになると、「じぶんがこれだけ我慢してるんだから、あなたもそうするべきだ」として、それが人間関係の歪みともなります。

間違った<清貧思考>と<我慢のしすぎ>をやめるには?
10月1日の今日から、また多くの食品の品目で価格の値上がりがありました。私が自然食品店の本部に勤めていた20年近く前も、4月と10月は値上げのシーズンで、メーカーは容量を少なくしたり、資材を工夫したりして、できるだけ価格を据え置く努力をしていました。それでも売値が変わったり仕入れ原価が上がるため、事前の仕入れ価格の登録作業の店舗への通達などの作業に追われていました。
それが今、消費者の方にわかる形で、小売価格に直接反映されるところまで、モノの原価が製造業を圧迫しているということです。
そうなると、消費者の私たちは、特に食べるものは毎日のことですから、少しでも安いものを求めるのは当然のことです。
しかし、どこを節約するか、なにを重視してお金を出すか、をあなたなりの価値観で決めていくことは重要で、それがないと「モノが高い」「節約しなければ」「お金を使うことは悪いこと」「高いものには興味がない」というような間違った清貧思考を生み、限りない節約思考となり、結果として上記で述べてきたような、ますますお金がない、行動することを妨げる、人間関係にも歪みが出る、という人生がつまらないものになっていきます。
我慢ばかりしすぎることで、健康を害することにもなるでしょう。
あるいは、我慢しすぎることで(自分は可哀想な存在という)自己憐憫を生み、自己重要感を低くしてしまい、「自分には豊かになる資格はない」「自分の未来はいいことがない」「自分は何も達成できない、そんな能力はない」などの思考を生み出します。
そんな、ばかな?と思うかもしれません。しかし、日々の思考は、思い込みとなってあなたの人生の形を決めてしまいます。今のあなたの思考や行動は、未来の自分を作り出しているのです。
今の自分に必要のない、自分の頭と労力を使えばお金を出さずに済むことに、投資だからとお金を出すような衝動的にお金を出して、首が回らなくなるようなお金の使い方をしろというのでもありません。
お金は、今のところ生きていく上で必要なツールですが、それを扱うにはあなたなりの基準、管理の仕方を明確にすることで、人生を楽しくもするし、辛くもさせてしまうものだということです。ツール、道具である以上、扱い方があるのです。
間違った<清貧思考>と<我慢のしすぎ>をやめる5つのポイント
- あなたが人生で大切だと思うこと、価値基準を明確にしましょう。
- あなたがお金に対して持っている、ビリーフ(思い込み)を明確にしましょう
- あなた自身が、過去のどのようなものを手に入れた時満たされたと感じたかを思い出しましょう
- あなた自身のことを、どのような存在だと感ているか、セルフイメージを明確にしましょう
- あなたが五感の感覚で、快適だと心地よいと感じることに、お金を使ってみましょう。
これらは全て、お金の使い方、お金の出し入れ(何に使うか/使わないか)、お金の流れに直結した無意識下のプログラムに働きかけるものです。
普段は、自動的に動いているこのプログラムに対して、問いを立てることで顕在意識に上りその問いの空白を埋めることで、変化させることができます。
コンフォートライフコーチングで提供しているプログラムも、そうした問いとイメージから変化を促すNLP心理学の手法と考え方を使っています。セミナー体験者、セッション体験者の方にのみご案内する、制限となるビリーフお金のビリーフの書き換えに関するセッションもリリース予定です。
