こんな方におすすめ
- ピンチや困難やトラブルが、頻繁に人生で起きる方
- ピンチな出来事で、ヘトヘトになることが多い方
- 自分で人生の舵取りをしたいと感じている方
あなたはピンチのとき、困難な状況におちいったとき、頻繁に遭遇するトラブルがあるとき、どのような言葉を吐いていますか?
「もうだめだ」
「もうなにもかも、嫌になる」
「はぁ〜なんだかなぁ」
「なんで、そうなるかなぁ」
「いい加減にして」
「大丈夫、なんとかなる」
「どうしよう、でも、やらなきゃ
「なんとかなる」
「負けるもんか」
「あ〜あれ食べよう」
私たちは人生のなかで、平穏で穏やかに過ごせる時ばかりではなく、時に予想もしない困難や、予想しても予想外のトラブルに遭遇したり、周りの状況に影響されてピンチに立たされるような時があります。
そうして人は、
- ピンチに遭遇したとき
- 困難な状況におちいったとき
- トラブルに遭遇したとき
心で感じたことを言葉にして口に出しています。
そしてほとんどの場合、その困難やピンチの沼にハマり、上記のような言葉で自分を慰めています。そして、同じようなピンチ、困難に何度も遭遇するのです。
一方で、ピンチや困難なトラブルが起きても、自分を奮い立たせる、気持ちを切り替える言葉を使うことで、それを乗り切ってしまう場合もあります。
- 実は、このピンチの時にあなたが自然に口にしている言葉が、その状況を良くするようにも悪くするようにもしているとしたら、あなたはどうしますか?。
- 実は、この困難に遭遇した時に口にしている言葉を変えることで、ピンチや困難なときのあなた自身のメンタルステートが変わり、その結果に変化を起こすことがあるのを知っていますか?
普段使っている言葉もそうですが、ピンチや困難な状況になっている時ほど、あなたがどのような言葉を使っているのかによって、その後の状況が変わるのです。
使っている言葉を意識することで、あなたが陥ってしまう状況に対して、あなたの意識が変わり、対しかたが変わりっていくのを感じるはずです。
あなたが使う言葉が、あなたを導く理由
言葉は人を動かすエネルギーを持っている
なぜ、あなたがピンチのとき、いいえ、それ以外のときでもあなたが使う言葉次第で、置かれている状況が変わるのか?。
それは、
言葉は人の意識を、その言葉の持つ意味の方向に向けるエネルギーを持っているからです。
医療ドラマを見ると手術シーンがあって、医師は必ず「〇〇さん(患者名)、歳(年齢)の〜〜〜〜術(どの手術をするのか)を始めます」と宣言して開始します。
それは、患者さんの確認をするのと同時に、その場にいるスタッフの意識をそのことに向かわせ、集中させる意図があると思われます。(NLP心理学やコーチングなどでもそうした言葉による意図の設定をよくします)
私たちは、自分が気づいていようといまいと、口に出していようといまいと、常になんらかの言葉を発しています。それは、その時の状況で気づいたことや感じたこと、自分に対しての評価、人のに対しての批判、を言葉という表現方法でつまり思考というやり方で表しています。
つまり、頭の中でつぶやき続けているのです。
そう考えると私たちの頭の中は常に忙しく働いています。
ある研究によると、人は1日に5万回以上もなんらかの考えが浮かんでいるといいます。常に、頭の中で気づいたことや、感じたこと、などつぶやきをして生きているということで、しかしその頭の中での会話は、瞬間瞬間素早いもので、自動的で無意識的でさえあります。
つまり、自分から発した考えや感じたことなのに、そのほとんどは気づいていないのです。
無意識的に、自分で気づいていない言葉
意識の上にのった、口から発した言葉
どちらもある。
そうした言葉の中から、その時インパクトのつよい出来事の言葉に対して人は意識にのせ、そのことを気に病んだり、行動に行き詰まったり、あるいは、前向きに反応したりするのです。
使っている言葉の質が、気持ちに作用する
このように私たちは、日々多くの言葉を自分の中で発しています。
自分と話している内容が、人生の出来事の中でどのように捉えているかを表しています。
その言葉が、ポジティブなものか、ネガティブなものかで、その人が出来事をどう感じるのかが変わってくるとも言えます。
「思考は現実化する」といわれますが、私たちが日々、どのような思考をするのかが、その時どう対処するかがきまり、どのような言葉を使うかで、人生の生き方や質が変わるともいえるのです。
使っている言葉によって物事や出来事に対しての感じ方が変わるということは、気分や性格とは違うことは学術的にもわかっていることです。
アラバマ大学のウィル・ハート教授の実験は、被験者に楽しかった出来事とつらい出来事、そのどちらでもない中間的な出来事を思い出してもらう実験を行った。
すると、何かの出来事をまるで今それが起こっているかのように語る人は、中間的な出来事を楽しい思い出のように、つらい出来事は実際よりもっとつらいことのように感じているのがわかったという。
つまり、どう表現するかで自分が置かれた状況のとらえ方や感じ方は変わってくるし、人生の過ごし方や、さまざまな問題への仕方もずいぶんちがってくるということだ。
言い方が次第で感じ方が変わるのは何百年も前から知られていた話で、ヴィトゲンシュタインやハイデガー、ガダマー(ハイデガーに学んだドイツの哲学者)といった哲学者は、言葉の意義や重要性を理解していた。ヴィトゲンシュタインは「文法には思考と現実の調和が見られる」と言った。
自分とポジティブな会話を行えば、気分が良くなり、自信が増し、生産性が高まるといった好影響が出ることが次々と解明されている。ハート教授の研究がわかるように、言葉は幸せな人生を送るためのカギになる。
ところがその逆もまたしかりで、自分とのネガティブな会話は気持ちを落ち込ませ、絶望を招く。些細な問題を大問題のように見せ、ありもしない問題を作り出す。話し方によっては、想像を絶する苦しみを味わいかねない。
参考文献:『あなたはあなたが使っている言葉でできている』 ゲイリー・ジョン・ビショップ著 高橋拓哉訳Discover出版
日々私たちが使っている言葉は、日々のその時にどう感じるかを表したものです。
ですが、人が日々使っている言葉は、そのときだけの一瞬のものではありません。
繰り返し同じ様な言葉を使うことで、あなたの無意識の中にプログラムとして埋め込まれ、それが、身体の動きや状態に作用し、あなたの思考や感情に作用し、生きていく中での行動に作用します。
また逆もしかりで、私たちは生まれてから幼少期に育つ間に様々な体験をしますが、その中には、身近な大人(親や祖父母、親戚、教師など)に言われた言葉や、出来事に対して何らかの感情をいだき、
- 価値観(重要だと感じること)
- 好ましいこと/嫌いなこと
- 危険だと感じること/安心を感じること
を自分の中に定着させ、それを心理的なプログラムとして信じるようになります。そして一旦プログラム化すると、それを無意識的に使い、大人になってからも、その信じた通りの考えや行動をするのです。
そうした心理プログラムが元となって、今現在の日々の言葉として現れ、言葉の通りの現実を作り出しています。
その言葉が
- 「人生がつらみ」
- 「頑張っても報われない」
- 「私は、バカだから」
- 「自分はなにをやっても、うまく行かない」
- 「自分は、他の人と同じようにできないから落伍者だ」
などのようにネガティブなものであると、人生がなにをしてもつらく、自己卑下におちいり、うまくいかない状況を選択するようになるのです。
一方で、私たちはポジティブな言葉を発することもできるのです。普段あなたが使っている言葉はどのようなものでしょうか?。
思い出してみてください。
特に、ピンチのとき、困難な状況に陥っている時の言葉は、それをどう切り抜けるかにも影響します。
私がいつもピンチの時に言っている言葉は・・・
思えば私自身、追い込まれた時、
- あと数分で片付けを終えて、次の講義に向かわなければならない時
- あと三十分の発送時間までに、100以上のサンプルを分割して梱包しなければならない時
- あと数分で、ホワイトボードに講義に必要な板書しなければならないとき
いつも
「できる、できる」「大丈夫」 と言っている自分がいました。そして、その通り間に合うことができたのです。
そうした時間に追い込まれた時に、それは、無理にというよりも、自然発生的に自分の中から湧いてきたこ言葉で、そう言おうと決めたこともなければ、意識して言っていたことでもありません。そしてある時、自分がなん度もそうした時間に切羽詰まった時には「できる、できる」「大丈夫」 と言っている」ことに気づきました。
それはなぜなんだろうか?。
最近ふと思い出したのだが、
夏休みの宿題や自由研究、小学生の高学年、中学生の頃だろうか、大抵の場合宿題をコツコツと終わらせるというよりも、夏休みも終わろうという一週間まえ、いやそれよりも、数日前だっただろうか?
慌ててやって夜も必死になってやって、突貫工事で作ったわりに、評価がよくて、一度で懲りず何年もそういうことがあった。
もしかして、自分の夏休みの宿題の突貫作業での体験が、限られた時間のなかでの「できる、できる」「大丈夫」 という言葉を生み出したのかもしれないと・・・・。
自分の過去の体験や過去の感情に引きずられて、今の言葉を発してないか?
私たちの言葉は、自分の思考そのもの表れで、感情そのもの表れでもあります。
もの事や出来事に遭遇したとき、なんらかの状況になったとき、わたしたちは、なにかしらの思考や感情を発している。それはごく普通のことです。
けれど、それをどう思うのか、どう感じるのかは、生育体験からの積み重ねが大きく影響しています。
幼少期に、
- 親や周りの大人から、子供の自分に言われたこと、されたこと
- 親や周りの大人がしていることを、自分のこととして捉えたこと
- 自分の存在を否定された、されていると感じた出来事
などが関連しています。例えば、
- 子供本人とっては些細な悪戯にたいして、躾と称して家の外に閉め出されたり、
- 子供本人にとって、「ささやかな反抗にすぎないことを、おまえは橋の下から拾ってきた子だから」という様な存在否定をする言い方をされたり
- 子供ながらに両親の諍いを止めようとして、「親のしていることに口を出すんじゃない」と否定されたり
そのほか様々な、なにかの体験から「自分は存在価値がない」という低い自己重要感が心の中に醸成されると、その感情は強く心理的なプログラムとしてマイナスに作用します。
あるいは何らかの体験を通して
- 自分は、どうせこうだから
- 世の中は、こんなものだ
という社会のあり方や自分自身に対して、なんらかの制限的な思い込み(ビリーフ)という心理的なプログラムが発生する場合もあります。
そうした心理的なプログラムや何らかのビリーフプログラムが元となって、そのプログラムにふさわしい思考(言葉)や感情が生じるのです。
アメリカの臨床心理学者のアルバートエリスは、
“人間の感情の大部分が思考から生み出されているのなら、感情をコントロールするには思考をコントロールすればいい。もっと言うなら、心の中で思い描く文章、つまり自分との会話に使う言葉を変えればいい。感情はそこから生まれているのだから。”
という言葉を残し、「体験の印象はとらえ方や話し方によって変わるとする」のと同時に、「人間は極めて非合理的な考え方をする生き物だ」という言葉を残した。
参考文献:『あなたはあなたが使っている言葉でできている』 ゲイリー・ジョン・ビショップ著 高橋拓哉訳Discover出版
この言葉は何を意味しているのか?。
私たちは物事や出来事を、合理的(論理にかなっているさま。因習や迷信にとらわれないさま。② 目的に合っていて無駄のないさま。)で捉えているわけではありません。
気に病むことのほどのことでもないのに、少しばかりうまくいかないことがあったただけで「自分はなんてバカなんだ」「自分は失敗ばかりしている」「自分の人生は最悪だ」など、日頃から悲観的に考えてしまうことしてしまいがちで、それらはよくよく考えれば理性的な考えとはほど遠いことといえる。
ということを伝えています。
私たちは常に合理的に理性的にものごとや出来事に対して考えたり、判断しているわけではないのに、反面、私たちは自分たちは理性的な存在だと思い込んでいるところがあるのも、また事実です。
周りの出来事や他の人の言葉の影響や些細なことでネガティブな感情になり、それを引きずってしまったり、上記のようにほんの少し自分がかかげた理想や行動違うことをしてしまうだけで自己卑下に陥ったりしてしまう存在で、どちらかというと、ネガティブな感情のほうに強く傾きやすいのです。
それは現代では脳の仕組みとしても解明されていて、私たちの脳はネガティブだと感じた強い印象の体験ほど同じ体験をしないように記憶に残しますが、それを繰り返し思い出すほどますますネガティブ感情になるという悪循環におちいります。
つまり、ネガティブな感情は突然湧いてきたものでも、もともとそうした性格だからでも、自分たちに能力がないから、というわけではないのです。もちろんそうした要素があるとしても、それは片鱗にすぎません。
過去の体験の記憶、その時に味わった感情
それらが今現在もあなたのなかで、脈々と生きて過去に引っ張り込もうとしているのです。
それが言葉として表に出てそれが繰り返されることで、言葉の持つ意味が無意識的な思考や行動の方向性を決め、次第にプログラムとして自動的に反応するようになっていく。
そして次第に、その人の人生を形作っていきます。
ネガティブな記憶(言葉)を、新しいポジティブな言葉へと作り出すには?
これまでの体験から、ネガティブな言葉が生まれ、それに引きずられるように思考や行動が生じたのだとしたら、それを変えていけばいいだけです。
人にはポジティブな体験の記憶も、ポジティブな感情の記憶も持ち合わせています。
そして、過去ばかりではなく、今、現在、未来も持ち合わせています。
私たちの脳は、日々変わることのできる物理的な構造も持ち合わせています。
脳の神経可塑性という脳の構造は、私たちが日々新しい体験から物事を学んだり経験するごとに結びつきを新しくして、繰り返し行って重要だと捉えたことに対しては神経の結びつきを強める一方、重要ではないこと、使われない結びつきは捨てていくようになっています。
- これまで重要だと思い違いをしていた、ネガティブな思考や言葉
無意識的に発していた言葉に意識を向ける
そして新しい、今の自分から、言葉を発することをする。
意識して行わなければ、今までの過去にできたプログラムの自分のまま、同じ思考、同じ言葉を繰り返し続けるだけです。
変わることができるのにです。
言葉を変える脳の神経可塑性を例えるなら、タンスの衣替えのようなものです。
これまでの古い慣れたネガティブな感情や言葉(思考)・ふるい着慣れたTシャツをよくつかっていたためにすぐに取り出せる引き出しの手前にあったのを、ポジティブな体験の感情や新しい体験のポジティブな記憶・新しいこれまでとは違う色のTシャツを引き出しの手前に入れておくのです。
それには、ポジティブな体験の記憶をきちんと思い出して、整理することです。
引き出しの奥(脳の記憶の中)に何があるのかを知るには、一旦引き出しの中に何が入っているのかを出さなければは把握できません。
その時に、「あ〜私はこんな色のカットソーやシャツを持っていたんだ」と気づき、それが存外似合っている、気分が上がる洋服だと思い出してそれを頻繁に着るようになる。
すると、今まで出かけなかった場所に行くようになり、気持ちも前向きで表情や姿勢も変わってくる。普段使う言葉の質も変わってくるでしょう。
これは単に、気分的なこと、なんでも前向きにとらえろと言うポジティブシンキングの話ではなく、脳という構造が関わる科学的な理由からのことです。
それでも最初は、なかなかうまくいかないこともあるかもしれません。
物の整理、思考の整理には慣れ不慣れがありますから、いきなり入れ替えするのではなく、何があるのか紙に書いてリストアップすることです。
つまり、頭の中の引き出しにある記憶を整理するには、新しい言葉を言葉を生み出すには、静かに時間をかけて書き出してみることです。
あなたが過去に体験した出来事、楽しかったこと、充実感を感じたこと、自分らしくいられたこと、困難な状況を乗り越えたこと、嬉しかったこと、・・・・・(もうここでこの文字を見ただけで、あなたはすでにその状態にアクセスし始めています)を、断片でもいいので書き出してみることです。
それはすでに、記憶を言葉にする作業で、思考的でもあります。
ネガティブな言葉を、ポジティブな出来事の記憶を言葉にして上書きする作業となっています。
あとはそれを頻繁に思い出すことが、神経の結びつきを強める、それがすぐに取り出せるようになるのです。
そして、それが行動へとつながっていく。
もちろん人は常にポジティブでいられるわけではありませんが、ネガティブな思考の沼にハマりやすいのもまた事実。
ネガティブな沼にハマりそうになったら、上記のプロセスを思い出して沼から抜け出すよう心がけてみてください。