今日で3月も終わり。
母の開眼法要で一区切り、世の中は年度末で、自分は誕生日で、という3月31日です。
今日は昨年からの恒例のパティスリーYu Sasageのシュークリームを頂きました。
(兄が買ってきてくれました〜)
自分の事に時間も取れるようになったけれど、なにやらやたら眠い時もあって、身体の調整中なのかな〜と思います。
以前から、色々な分野の音楽を聞くことが多いですが、
音や言葉、あるいはお経、というものには改めて癒しの力があると今回の法要で改めて感じました。
そのことについてアップします。
言葉の響きや音の持つ癒しの力とは?
言葉の響きの持つ癒しの力
実は、母の開眼法要の時にちょっとばかり不思議な体験がありました。
朝、支度をしてお寺に行き、
待合室でまったあと、
位牌と遺骨と供物を安置された本堂でお経を上げていただき、
その後お墓に移動し、そこで遺骨をお墓に治めてご住職がお経を唱えられているうちに、
ワタクシなんだか涙がボロボロと流れてきてしまいました。
お寺が決まり、墓石がきまり、戒名をきめ、仏壇を決め
という一連の作業に対してのやり終えたという安心感、達成感からということではなかったです。
母に対する、怒りとか想いとか、なかった訳ではないですが、そうした気持ちは整理出来ていたつもりです。
ですが、きっと、まだ残っていた母への何かしらの感情の全てが、
読経の響き、意味が分からなくとも言葉の響きで浄化されたという感覚があります。
自分の身内に対しても沢山の想いを持っていた人ですが、
「そうした母の魂も、ようやく浄化されたのだな」と感じました。
思えばどの宗教でも、音や言葉というものが儀式の中で使われていますが、
【音や言葉の響き】というのは、
波動という物理的なエネルギーを持っていて、波動というのは人や物に伝わるというものですが、(モーツアルトが胎教にいいとか、農産物の生育にいいというのは有名な話ですが)
読経というものも、ご住職声の質や内面の影響もあると思うのですが、
人の心と全てに響くものがあるのではないかと思いました。
宗派によっては、お経も唱えるモノも違います。
以前声明コンサートに行った事があり、その時に手に入れたCDをiPodに入れて聞いていることもあってお経に対して、ここちよさを感じるのかもしれません。
宗派によっては全く違うお経を読むそうで、お寺探ししていた時に参加したある宗派のお経は
今ひとつなじめずに選択肢から外れていきました。
【音や言葉の響き】は、人を癒したり、力づけたりする力あるのです。
自分の言葉や声を使って自分を癒す
あなたにもありませんか?。
ある人に言われた言葉が、ずっと心に残っていて思い出すごとに
励まされたり、気持ちが温かくなったりということが・・・・。
以前『自分を励ます言葉がありますか?』というタイトルでも言葉の力について書いていますが、自分で自分が励まされる、勇気づけられる、という言葉を自分で言う事でも効果があるのです。
あるいは、言葉には成らなくても、その時に感じる音を「わ〜」でも、「あ〜」でもいいので、想いっきり出してみるのもおススメです。(ご近所迷惑にならない場所で・・・)
もうだいぶ前に、
【ヴォイスヒーリング】というワークショップに参加した事があるのですが、ファシリテーターの方の誘導で、自分がその時に発したい音をばわ〜っと想いっきり出していくのです。
言葉に成らない音を、一定の間言い続ける事は、自分の中にある淀んだエネルギーが出て行き、浄化される=癒されるもののようです。
そうした事からも、【声を出す】【言葉】というのは人に響き、癒しをもたらすものだと実感しています。
- 大きい声が無理なら、本を読む時に声を出して読む。
- 会議資料を作るとき、文章の内容を声を出して読んでみる。
- お友達や、知り合いの人と話をする。
というように声を出す事を意識してみてください。
喉には、
自己表現、意志、創造性、判断力を司るチャクラ(エネルギーの通り道)があります。
喉を使う事でチャクラが回転し始め、動くようになっていきます。
チャクラが回転し始めるとエネルギーが活性化すると同時に、
その声の響きは、あなた自身を癒す力があります。
一人暮らしの方で「気がついたら誰ともしゃべらず、気持ちも落ち込んでいた」
ということをよく聞きますが、
声を出すという事は、気持ちをもアップさせる働きがあるのです。
お金もかからない、誰にでも出来るヒーリングです。
気が向いたらぜひ、やってみてください。