三月の年度末、そして四月月の新年度
新社会人、新入学の季節、であると同時に、多くの学校や企業では、それまでの環境や状況が新しく変わる人生の転機を迎える人が多くなる季節です。
しかし、学生や社会人となる人でなくとも、人はだれしも、人生の転機、人生の変わりどきを迎える時があります。
そうした“人生の転機、人生の変わりどきには、何かしらの痛みが伴うものだ”ということを理解しておくことは、人が転機や変わりどきを乗り越える上で、たくましく生きていく上ではとても重要なことです。
なぜなら、そうした転機、変わりどきは、あなたにとって必要な通過儀礼であるにも関わらず、【捉え方】、【対処の仕方】によってその痛みを酷いものにするか、軽いものにするかの違いを生み出します。
こんな方におすすめ
- 人生の中で、今が変化期だと感じている方
- こ職場や家庭環境の中で、立ち位置や状況が変わりつつある方
- 仕事や職歴の変化に、プレッシャーを感じている方
- 自分は変わらなきゃと思いつつ、対処に悩んでいる方
人生の変わりどきの痛みを、どう捉えるか、どう乗り越えるか
変わりどきの間違った対処・変化に向き合わない
よく、人生を変えたいと思うとき、人生の変わりどきの対処法として、
心理学や自己啓発の一部では、「頑張ったり、無理をしてはいけない」「あるがままに任せることだ」と言われることがあります。
それは、脳の仕組みとしても理にかなっていることではあります。
意志の力や、頑張りでどうにかしようとしても、脳にとってストレスとなることは取り組めない、安心安全な状態であることでリラックスして高い成果を挙げられるという一面があるからです。
しかし一方で、それは、
変わる必要がある時、問題を抱えている時には、常に先延ばしにしたり、問題のある状態を避けようとしたり、問題と向き合うことをしない、という状態を生み出します。
- 「まあいいや、なんとかなるでしょ」
- 「ポジティブ、ポジティブ」
- 「周りもそうしているから」
というような前向きマインドでは、解決するべきことや問題がある状態では、そのことに対して行動を起こすこともしません。
解決すべきこと、問題が発生するということは、ある意味、気づいていてもそれまで向き合わなかったことの、先延ばしにしてきたことが、積もり積もった結果として現れるものです。
それは、あなた自身の内面が引き起こした、変わるべき時、変わらざるを得ない状況を自ら引き起こしたことだと言えます。
しかしそうした事態におちいってしまう場合以外にも、私たちは人生の中では、これまでとは潮目がかわるような、置かれた状況や環境が変わることで、トランジションに遭遇することは、多々あります。
トランジション(transition)とは
移行、変化、過渡期、変わり目、変遷期などの意味
動画制作で、前後のカットを自然につなぎ合わせる効果(エフェクト)
ビジネスにおいて、配置転換や人事異動など、ある段階から次の段階へと移行する時期。
を意味する言葉
外部環境から来る変わりどきには、マインドを変える必要性がある
また、人生の変わりどきは、外側の状況の変化からも起きます。
職場環境の変化:合併や事業の統合、新規事業、転勤、栄転、リストラ、・・・・などなど
結婚、出産、育児、介護、進学、新入学、引越し、親や親族の死去、
それらは、嬉しいことであれ、悲しいことであれ、自分自身ではどうしようもない外部的なことや自分以外の家族の状況の変化、また、自分自身が絡んでいることもあります。
しかし、人生の節目、人生の変わりどきには、外側の状況に対しての行動変容とあわせて、個人が変化しなければならない場合がほとんどです。
個人が変化しなければならないのは、状況に対処するための内面の部分です。
つまり、心理的な部分や考え方です。
しかし、人は往々にして、状況の変化に対して変わることに抵抗感を感じます。避けてしまおうとします。
変えようとしない
変わろうとしない
変わり方がわからない
など、変わることから遠ざかってしまう。意識的には、「これをしなければ」と変わることを意識していてもです。
そして多くは、それを認識していながらもみてみぬふりで向き合わず、先延ばしにしてしまい何もせず事態を悪化させてしまうことさえあります。
そして、そして気がついた時には、急に変わらざるを得ず、そうした時の変化は、必ず何らかの痛み(緊張、ストレス(圧)、)が伴います。
あるいは、これまでとおなじやり方(そのほとんどは心理プログラムや思考がネックになっている)をし続けて、病気をしたり、健康状態を悪化させたり、お金に行き詰まったり、生活を破綻させてしまうということをし続てしまうことさえ起こります。
そうなってしまうのは、人生の変わりどきでに対して、変わらざるを得ないことを先延ばしにしたいたことや、内面を変えざるおえないで放置していたために、追い込まれてしまった時には、上記のような大きな痛みを伴います。
- 変えようとしない
- 変わろうとしない
- 変わり方がわからない
ということの要因にあるのは、心理的なプログラム(過去の体験から生じた制限のビリーフやセルフイメージ)です。
自分を変化させるには、リラックスしたり、自然体でいることも大切ですが、私たちは、人生の変化の時、変わりどきには、これまでとは違う状況や環境が変わることで、混乱や困難さが同時に起こります。それをどう受け止めるのかは、心理的なプログラム(過去の体験から生じた制限のビリーフやセルフイメージ)がどのようなものかによって変わります。
一時的な混乱や困難さがあっても、変化しようとすれば、軽い痛みで終わることがほとんどで、
それを放置したり、変化をしようとしなければ、酷い痛みとしてその後の人生を苦しめることさえあります。つまり、変化するべき自分の内面と向き合うことを避けてばかりいると、その痛みや困難さは、さらに大きなものとなって、変化することさえできなくなるのです。
歳をとると変わることができない”と言われるのは、これまでの経験によって制限的なビリーフやセルフイメージを、心理プログラムとして抱え、「自分はこうあるべき/自分はこれができない/そんなこと可能ではない」だから・・・・・として変化に対しての行動を起こそうとしないからです。
年齢は関係なく歳を取ってもチャレンジ精神のある人は、そうした外的な状況の変化でも、自分の内面(心理や考え方)と向き合いながらも微調整しながら、変化に応じた行動をしています。
つまり
心理的なプログラム(過去の体験から生じたビリーフやセルフイメージ)に対して意識を向け、そこを変えることが第一で、
酷い痛みになる人ほど、抵抗して変えようとはしませんし、そこに問題があるとはほとんどの人は知りません。
人の行動や思考を支配している潜在意識について理解する
私たちが、人生の変化期に、「変わりたいけれど、変われない」状況にもがくとき、その状況を支配しているのは無意識的なプログラムです。
私たち人は、自分で気づいている意識・顕在意識(意識)と、自分が気づかない・潜在意識(無意識)の大きく二つで構成されています。
意識とは:
一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」
Wikipediaより
意識とは:
1 心が知覚を有しているときの状態。「―を取り戻す」
2 物事や状態に気づくこと。はっきり知ること。また、気にかけること。「勝ちを―して硬くなる」「彼女の存在を―する」
3 政治的、社会的関心や態度、また自覚。「―が高い」「罪の―」
4 心理学・哲学の用語。
㋐自分自身の精神状態の直観。
㋑自分の精神のうちに起こることの知覚。
㋒知覚・判断・感情・欲求など、すべての志向的な体験。
5 《(梵)mano-vijñānaの訳》仏語。六識・八識の一。目や耳などの感覚器官が、色や声など、それぞれ別々に認識するのに対し、対象を総括して判断し分別する心の働き。第六識。
Goo辞書より
つまり、意識(顕在意識)は、私たちが自分自身の心の状態、身体の状態、周りの出来事や物、周りの人の状態や変化に気づくことに対して働いている心の動きと言えます。
意識エネルギーという言葉がありますが、その意識の状態が私たちの行動や感情の動きに、働きかけているのです。
無意識(潜在意識)は、意識(顕在意識)とは真逆の、気づいていないで動いている意識のエネルギーです。
無意識潜在意識(潜在意識)は、オーストリアの心理学者で精神医のジークムント・フロイトの研究で、個人の意識、無意識の存在、
カールユングの夢分析や精神分析の研究の中で個人的無意識や集合的無意識の存在の有無が、広く社会に知られるようになってきました。
意識と無意識は、海に浮かぶ氷山に例えられ、海の上に出ている意識(顕在意識)はわずかで、海の下に隠れた無意識(潜在意識)は膨大な大きさであることからも、無意識(潜在意識)は、意識(顕在意識)の20,000倍以上ものエネルギーがあるとされています。
変わりたいけれど(意識・顕在意識)、変われない(無意識・潜在意識)が起きるのは、私たちが変えたいと思っている何かは、ほとんどが無意識(潜在意識)の中にあるパターン(プログラム)が自動的に働いているからです。
そして、そうした意識、無意識の働きを支配しているのは、他でもない私たちの脳であり、神経であり、五感の感覚からの情報であり、過去の体験からの記憶です。
私たちが、日常の中で行っている行動のほとんど、歯を磨いたり、洋服を着たり、靴を履いたり、自転車に乗ったり、靴を履く足や一歩踏み出す利き足、を自動的にできてしまうのは、潜在意識が関与しています。
もちろん、初めて歯を磨いたのは赤ん坊のころで、自分ではなく親にやってもらっていた。そうした体験の記憶の積み重ねがあって、自然と(無意識で)歯を磨くことができる。
洋服を着たり、靴を履いたり、も同様で、子供の頃は教えられないと分からなかったボタンの掛け方も、自然と(無意識で)切られるようになる。
自転車を乗り始めた頃は、うまくバランスが取れず、ペダルをこぐ力加減が分からず転倒してしまったり、真っ直ぐな姿勢で前を向こう”など意識して乗っていたのが、慣れていくうちに自然と(無意識で)自転車を乗れるようになっている。
つまり、今の私たちの日常は、ほとんどが意識と無意識で成り立っていて、慣れていくほどに無意識的に行なっているということです。
このことは、科学的な実験でも明らかで、マサチューセッツ工科大学での実験では、人の習慣の90%は自動的な思考パターンで行動している。一日のうちの「固定行動」(つまり決まりきった行動)にも、パターンがあり、その人の朝の「固定行動」を見れば、一日の行動の90〜97%の確立で予測できる としています。
人は外的な状況の変化において、思考パターンや行動パターンを変えざるを得ないにも関わらず、「変わりたいけど変われない」のは、こうした、無意識のパターン、脳の仕組みからも明らかです。
それでも、人は変われないわけではありません。
赤ん坊の頃、そして幼少期、学生期、成人期、中年期、そして今、とこれまでの期間で、考え方や行動の仕方も変わってきたはずです。
そして、今、変わることに対して“出来ない”“ストップがかかっている”としたら、これまでの体験の中で記憶された心理的なプログラム(過去の体験から生じた制限のビリーフやセルフイメージ)があるからです。
脳は単純化して物事を記憶し、ビリーフを形成する
なぜそうした、心理的なプログラム(過去の体験から生じた制限のビリーフやセルフイメージ)が形成されるのか?
それもまた、脳の仕組みから起きることです。
私たちは、自分の外側の世界、物事や出来事を、五感の感覚を情報として捉え、それを神経を使って脳に伝達しています。そして脳がそのことに対しての反応を決め、何らかの感情を沸き起こらせ、何らかの行動を起こしています。
遠くから美味しい匂いがしてくれば、お腹が空いているときには“食べたい”と感じて、匂いでそのお店にたどり着き食べものを買う行動を起こさせます。
目で見た映像(ドラマや映画)の主人公の気持ちを読み取って、おなじ感情になることさえあります。
気持ちが落ち着かないとき、イライラしたり、憂鬱になっているとき、身体はこわばったりうつむき加減になったりという姿勢をを自然にしています。
このように、私たちは常に、何かしらの五感の感覚と共に感情や思考を巡らせています。そして、日々の出来事を体験しながらも、すべてのことを記憶しているわけではありません。
私たちの脳は、何か物事や出来事に接したとき、その出来事を物語(ストーリー)として記憶しながら、それを単純化して、一部を省略したり、名詞化したり、一般化して、記憶しています。
例えば、初めていく場所を地図を見ながら覚える時、降りる駅、〇〇方面のの出口はA3、改札を出て右、コンビニ、近くの中華料理店、隣には、〇〇ショップがある」などと、要所要所で覚えますが、その途中にある花壇の花や、すれ違った人、置かれている石碑、他の通ったお店の看板に書かれていること、などは記憶しません。
つまり、脳という地図は、体験したことすべての情報を網羅してはいないのです。
そして、地図を見ながら自分で通った道の情報でさえ、全ては記憶していません。
脳は、
- 重要なこと(価値があると感じたこと)
- 繰り返しあった体験
に対して、【信じるべきこと】だとしてビリーフ(思い込み)を形成します。
ビリーフは、
- その人にとっての、価値観(大切なこと)であり
- その人の、【できる/できない】判断であり
- その人の物事に対する、意味付けであり
- その人の物事に対する、一般化であり
- 自分自身に対する、自己像です。
ビリーフは、
プラスに働く時には、人生に対して前向きに取り組む意欲をもたらしプラスのビリーフの通りに行動を起こすため、困難な状況に陥ってもそれを乗り越えるときにも、良い結果を導き出す選択をしています。
対して、
マイナスに制限的に働く時には、その人の考え方や行動を狭めてしまい、困難な状況において、あるいは、本来ならば些細なことであっても、ネガティブ感情を引き起こし、制限的なビリーフの通りの結果となる選択をしてしまう。
私たちは自分自身に何か問題や悩みが生じた時、その根底にあるのがこうした心理的なプログラム(過去の体験から生じた制限のビリーフやセルフイメージ)が影響しているとは知りません。
心理学でも学ばない限りは、その時の起きた問題や悩みに苦しみ、わけがわからず、スピリチュアルな考え(前世の因縁とか、ご先祖様のウンタラカンタラ、チャクラやオーラの汚れなど)に傾倒してしまいます。
しかし、現世を生きる今の私たちは、現代の中で問題や悩みを抱えているわけで、スピリチュアル的な要因で問題や悩みが起きているわけではないのだと理解することです。
変化は常にあるものだと知って、変化の大きな痛みを減らす
私たちの人生は、常に一定ではありません。
穏やかな凪の時を過ごすばかりではありません。
人生の変わりどきというのは、その人の置かれた状況や環境が変化して、それに伴って心理的な変化を必要とするにも関わらず、人の無意識は安心安全な状況を望みます(人がまだ生命体としては、爬虫類であった頃の脳の構造が残っているため、脳にとっては生き延びることが最重要なことだからです)。
しかし、一方で、何も変わろうとしなければ、生き延びることが難しくなることもまた事実です。
- 流れのない水は澱み、ボウフラがわき腐ります
- 食べ物は放置すれば、カビがついて腐って食べられなくなります。
- 人はうごかなければ、身体機能が落ちて活動できなくなります。
春に花を咲かせた木々が、葉を伸ばし、そして夏の太陽のもとで小さな果実がなり、秋に葉がと茶色くなる秋には実を大きくし、冬が来る前に落葉するのと同じように、人間も常に変化するように人生はできています。私たち人間も自然の一部であることを思えば、それは至極当然のことです。
時には、置かれている環境が変わり、状況が変わり、それまでの生き方(行動や思考パターン)を変える必要に迫られます。
それは、自然界を見れば、変化することは生命として当然の流れですが、私たち人間は自分が変わることに抵抗を感じます。
変化とは、動くことです。
- 仕事環境の変化
- 家庭環境の変化(結婚、出産、離婚、育児、介護、引越し・・・など)
- 身体的な変化(病気、怪我、身体的な衰え、障害、)
- 金銭的な変化(給与所得の増減、急な支出、投資市場の変化)
私たち人が変わらざるを得ないときというのは、外部的な要因の変化と同時に、その状況の中での必要に迫られて・・・ということが多くあります。
その時、外部的な変化に、自分自身の内面が追いつかず、意識的には“それに合わせていかなくては”と思っても、無意識的な内面では変化することをに抵抗する。
変化することは、
- これまでの自分を否定することだと感じたり
- その変化の状況は、過去の選択が失敗したから
- 変化という何かの終わりは、なにかを失うことだ
- 変化するのは、これまでのことが意味のないことだ
というような、内面から(無意識から)湧き起こる思考、つまり制限的なビリーフから、変化への抵抗をこじらせかえって無理な変化行動を起こさせたり、的外れな変化を起こし、機能しなくなったやり方を守ろうとして、変化を混乱したものにしてしまう。
しかし、考えれば、変化するということは、終わる前に起こる混乱でもあり、何かの終わりでもあります。
世界は常に何らかの状況の変化があるもので、常に一定ではありません。日常の中でも些細な変化は度々おきているでしょう?。
それもまた自然界を見れば、至極当然で、私たちはそうした変化する環境の中で自分は生きているのだとは、つよく実感するのは、自分の身に降りかかった時(上記で述べた外部環境の変化)ぐらいです。
人生の変わりどきにおいても、終わる前の混乱を、まず認識することです。
ここを見ないふりをしていることで、終わり方の良し悪しが変わってくるのです。
変化に必要なコンフォートゾーンを飛び出すには、マインドとタイミングが必要
新しい自分になるための成長や挑戦のためには、今いるストレスのない環境から飛び出すことが重要だと言われます。このストレスのない環境をコンフォートゾーンといい、一部では自己成長の妨げになるとして批判的な見方がされています。
しかし、これまで述べてきたように、人は意志の力や思い切った行動で、自分の思うようにできるわけではありません。
コンフォートゾーンを抜けるには、
今の自分の状況を理解し、変化することは自然なことだと知ることです。
その上で、どうなることが自分にとって理想なのかをマインドに落とし込むことです。
そして、あなたが思っているほど、世の中は危険な場所ではないと認識すること(そのためには、必要な情報収集、(やりすぎれば不安や恐れを増長させストップをかけてしまいます)
表面的な意識だけで、
- 「変わらなければならない」
- 「変わらなければ、時代に取り残される」
- 「変わらなければ、危険だ」
などと思っていても、それが本心から(無意識から)のものでなければ、人は変わるための行動は起こしません。
無理に変化を起こそうとしても、見当違いなことをしたり、むやみやたらな考えなしの行動をして、結果として痛みどころか、痛手を負うことでしょう。
人生の変わりどきには、多かれ少なかれ、何らかの痛みが必ず伴います。
- それまで続けていたことを終わらせる、痛み
- それまで持ち続けていたモノを手放す、痛み
- それまで信じていた心のパターンを手放す、痛み
しかし、それらの痛みと感じるということは、手放す時期が来たともいえます。
だからこそ、自分自身の今の状態を、メンタル的な部分、状況や環境的な部分、も含めて俯瞰的な意識をもって理解することです。もちろん全てを正確に、正しく、理解する、ということは難しいかもしれませんが、「理解する」しようとすることこそが、無意識の扉を開き、あなた自身をより深く理解することができるのです。
そして、動くべき時、変化するタイミングを察知すれば、適切な時に最良なタイミングで自然な形で自分から変化を起こせるのです。
それにはやなり、自分自身の今の状況や流れを理解することです。
- 外的環境の変化を理解する
- 自分自身の心理プログラム(ビリーフ)の存在を理解する
- 自分自身の運気のながれ(西洋占星術や九星気学のサイクル)を理解する
など、自分を深く理解することは、人生の変わりどきの痛みを軽くする、スムーズにさせるためには大切なことです。