メンタル・意識変化

過去の中に浸り続けることと、過去を生かすことの違いで、自分自身の生かし方が変わる

あなたは、今、人生を充実させていますか?

あなたは、今そして未来に、希望を持てていますか?

もし、そうではないのだとしたら、

  • 過去の自分、うまくいかなかった自分にずっと浸っている
  • 過去の自分の出来事を、無意識的にほじくり返している
  • 過去の“うまくいかなかった自分”のなかに浸り続けている

ということかもしれませんね。

それは、ずっとこれまで、過去の自分のままで生きてきたということです。

本当は、今も、これまでも、未来を生きることができる、新しい自分になれるのに・・・・・・。

その方法を知らないまま、あなたの未来を信じられない、というのは、とても勿体ないことです。

あなたは、過去を生きるために生まれてきたのではありません。

その自分の失敗した過去に固執してしまう、うまくいかなかった過去、苦しかった過去、にこだわり続けるその理由は、様々ありますが、その元になっているのはあなたが過去に体験したことを(出来事や感情を含めて)脳が記憶しているということ、そこから生じたビリーフ(思い込み)が関係しています。

そして、あなたの中に根深くある、自身でも気が付かない(気が付かないようにしている)感情の根っこにある感情のプログラム、劣等感と自己憐憫とを使ってずっと過去のまま生きていることになります。

しかし、あなたの過去は、それだけではないはずです。
失敗した過去の自分に浸り続けても、意味がないのです。

過去を振り返ることは大切だが、過去に囚われすぎてしまうことで前に進めなくなっていないでしょうか?。

あなたの過去をどのように捉えるのかで、自分自身を活かすことも、ダメにすることもあるのだということを知ってください。

過去の自分にこだわることによる、良し悪し

自己憐憫で自分の心を保っていないだろうか?

過去の出来事を振り返ることは、その先の未来をより良く生きるためには、大切なことです。

わたしたち人は、自分自身のことであっても、つい昨日あったことでも忘れてしまうものです。その中にはうまくいったことや、楽しかったこと、「こうしようと」ふと思いついたこと、そうした過去を振り返ることで、その過去の意味を自分自身の中で再認識し、その過去の意味を見出し、その中での自分自身に対しての評価を同時に行なっています。

そのとき、過去と同時に、今現在、そして未来へ向かう意識があります。

しかし、一方で、

今現在、未来への意識が希薄で、過去の出来事に囚われてしまう人もいます。それはまるで、過去の中で生きている、過去の中に止まって生きているようなものです。

そうした人が、過去にこだわる理由

それは、

過去にあったさまざまなうまくいかなかったこと、苦しかった体験、に対して、無意識的に「自分は可哀想な存在」「自分はダメな人間」だと無意識的に感じているからです。

そして、意識的には、表面的には、どんなに、前に進もうと思っても、頑張ろうと自分を奮い立たせようと思っても、かわいそな自分であり続けることで、変わることを避け、今までのままでいようとしているのです。

それを止めようとする無意識にある「可哀想な自分」「ダメな自分」が止めてしまう。

  • だめだよ、また辛い目にあうよ
  • だめだよ、また苦しい目にあうよ
  • だめだよ、また失敗するよ
  • だめだよ、また怖い目にあうよ

だって、自分は、可哀想な存在なんだから

どこかで言い続けている。

自己憐憫・可哀想な自分のままでいれば、危険な目に遭わずにこれまで通りの安心安全な状態でいられるという、動物としての本能がそうさせているところがあります。私たちの脳は、できれば安心安全な状態でいたいのです。命の危険がないように、少しでも長く生き延びられるようにという生存本能が、人を過去の中に居続けさせるのです。

それは、生き延びるためには、安心できる状況で命を存続させるのに有効ですが、一方でそれを気づかないようにすればするほど、停滞し、楽しさ、新しさ、挑戦のない、空虚な人生として生きることになります。

劣等感や自己卑下のある意識を覆い隠そうとしてしまうのは、そうした感情と向き合うことはしんどいことだからです。そして益々、上手くいかない過去の自分であり続けようとします。その方が身体的には安全ではありますが、それを強固なものにしてしまい心理的なプログラムとして、パターン化していきます。

そして、人生全般に対して、かわいそうな自分、ダメな自分というセルフイメージのとおりの出来事を引き起こし、悪循環のループに陥ります。

  • 全世界の出来事、あらゆる人が、自分に敵対しているようにも感じられるようになってしまう。
  • あらゆる出来事に対してネガティブに捉えて、プラスの側面を感じ取ることができなくなる。
  • 人生に希望を見出せず、ますますつまらなくなり、自己憐憫のスパイラルにはまりこんでしまう。
  • 意気込んで何かに取り組もうとしても、それがことごとくうまくいかない状況になる。

など、負のスパイラルにもなるでしょう。

そして、自己憐憫のスパイラルに陥っているあなたの周りにいる人、家族、もまた、そのネガティブな感情の影響を受け、迷惑となっていることに気づきません。

平静な感情を持っている人からしたら些細な出来事でしかないことにも、過剰に反応してして不快感を膨らませて、ストレスを撒き散らし、それを周りの人に飛び火させる。感情は伝播するので、周りの人間もわけもわからず不安になったり、不快になったりします。

そして、あなたを助けようと、気を使い、なだめようとして、疲弊してしまうこともあるでしょう。家族なら余計にです。

 

知識やスキルは持っててるのに・・・それを妨げるメンタル状態を維持し続ける

劣等感や自己卑下のメンタル状態は、自己重要感の低さにもつながります。

自己重要感は

自分自身の存在そのものを肯定することができる、
自分自身の存在そのものを否定するのではなく、
この世に存在しているだけでも価値があると思える深層にある心理状態です。

自己肯定感とも似ていますが、それよりも、自分自身の存在そのものに対して価値を感じるかどうかという、自己像であり自己評価です。

自己像(セルフイメージ)は、誰しもプラスもマイナスの部分も持ち合わせていますが、自己重要感を低く感じている時、ネガティブな面でしか自分を見ていません。つまり、劣等感や自己卑下がその最たるものなのです。

そして、自己重要感が低いというセルフイメージは、それを無意識的に埋めようと、過剰なモノや知識、スキル習得、あるいは、過剰なほどの人のための行動、などで埋めようとします。

しかしどんなに、知識や情報を持っていても、多くのスキルを学んだとしても、この自己憐憫の感情にはまり込むと、それを生かして人生を向上させることが難しくなります。

なぜなら、【かわいそうな存在の自分】というセルフイメージを実現するような選択をし、行動をするからです。それは、無意識的な作用であるがゆえに、そうしていることに自身は気づいていません。意識的な自分は思うようにいかず、疲弊し、ますます「自分はダメだ」という劣等感のセルフイメージを被せて自己憐憫を強化してしまいます。

自己憐憫が形成される理由

過去にどんな出来事があったとき、その何かを「過去の出来事、過去の誰かのせい」と考えることで、あなたは自らその犠牲者であると感じさせ、自己憐憫におちいらせます。すると益々、自分は可哀想な犠牲者だというセルフイメージを定着させてしまいます。

今、うまくいっている人も、成功者と呼ばれている人たちも、昔から最初から全てがうまくいっていたわけではありません。
しかし、

人生の中で、災難や困難な出来事が降りかかってくるのは、あなただけではありません。
人生の全てが、順風満帆なだけの人はいません。

偉人と言われるような人でも、幼少期や大人になってからも苦悩や試練が連続するめに会いながらも、その人の人生を全うすることをしています。

とはいえ、そこに囚われてしまう人と、困難な経験があっても未来志向で生きることのできる人の違いは何なのか?。

人生で、最初に出会う困難な出来事は、家の中での出来事です。

家族の中での揉め事やいさかい、理不尽な折檻や叱責、 そうした中では誰もが、悲しい思いや苦しい感情を味わいます。

時には、存在自体を否定されてしまうことさえあります。

なんでわかってくれないのか
もっと優しくしてくれていもいいのに
自分は居なくてもいい子なのか

という感情は、子供の頃には、扱い方がわかりません。

そして、今も、その感情を抱え続けていることは、本人は気づきません。

なぜなら、感情の記憶は、悲しいことや苦しいことほど、奥に隠してしまい、無意識のパターンとして自分を守ろうとします。次に同じ出来事が起きた時に、そうならないようにするために。そしてそのことが、さらに無意識的なパターンとして強化されていきます。

そして、大人になって、苦しいこと、困難な状況に陥ると「可哀想な自分」の感情=自己憐憫にハマってしまいます。

  • 大変なことがある自分は、可哀想な存在
  • 苦しい状況になる自分は、可哀想な存在
  • 困難な状況に陥る自分は、可哀想な存在

として、大変なこと、苦しいこと、困難な状況に陥り続け、乗り越えるためのリソース(能力や意欲)を発揮することもできません。

そうした中で、ネガティブなマインドが形成されると、些細な出来事でも傷つき、当たり前の自尊心を持っている人であれば気にも留めないようなことでも、陥れられた、攻撃された、非難された、と思い込みます。

そして益々、上手くいかない人生、劣等感や自己卑下を募らせ、この先の人生には希望がない、自分には明るい未来がないとさえ思うようになります。

また、劣等感を抱いていると、優越感を求めることに必死になります。

それは、周りから自分を守ろうとして、自分が優位に立とうとしますが、周りの人はそうした姿勢に対して敵対心として捉え、相手も無意識に防御的になります。結果として、あなたはそれを不当な仕打ちと感じて、被害者意識を持つようになります。かわいそうと思う続けることで、モラルの点で上だと感じられるからです。それで自己重要感を満たそう、自尊心を保とうとするのです。それはまるで、張り詰めて鎧をつけて防御しているようなもの、ハリネズミが針をたてて威嚇している状態と同じです。

そして益々社会や世の中に対して、恨みを抱くようにさえなります。

“うらみとは、

不当な仕打ちや不公平を盾にして、自分の失敗や自己卑下や自己を受け入れやすくしようとする心理”
(サイコサイバネティクス 参考)

恨みの癖がつくと、自分を犠牲者としてイメージするようになり、習慣的に恨みをどこかに溜め込み、ループのように自己憐憫を繰り返します。

うらみは、精神の命取りになる毒であり、幸せになれなくし、本来ならば創造的な未来を生きることに使えたはずの大量のエネルギーを使い果たしてし舞うことにもなってしまいます。

大人になっても、大変なこと、苦しいこと、困難な状況が繰り返されているのだとしたら、あなたの中にある“過去のしんどい体験”から劣等感や自己憐憫に陥っていることに気づくことです。

どんなに過去にうまくいかないことがあったとしても、その過去の体験を乗り越えることはできます。大変なこと、苦しい状況、困難な状況におちいっても、それをしんどい辛いと感じるのは、自然なことで、それをどうにかしようと思うとき、人は自らの感じ方、今や未来を明るいものにしたいと強く感じると、人はそれを変えることができます。

なぜなら、物事や出来事に対して「どのように感じるのか」は、あなたしかコントロールできないからです。

ネガティブな過去から脱出する第一歩とは

あなたがこれまで、いいにしろ、悪いにしろ、物事や出来事、他者の振る舞いに対して、あなたが感情的な反応していたのは、あなたの中にあった心理的なプログラムによるものだと気づくことです。

気づかなければ、人はそのことをどうにかしようとはできません。特に心理的なプログラムは、ポジティブなものにしろネガティブなものにしろ普段生活している中で、その存在を知っている人は、まれです。

そして今まで、その過去の出来事を無意識的に参照してきましたが、参照してきた記憶は、実際の体験のほんの一部にすぎません。あなたが生まれてから、今日まで体験したことは、膨大なものであるにもかかわらず、その中のほんの一部、しかもうまくいかなかったこと、失敗したようなこと、嫌な想いをした、という過去をもとに、すべてを当てをはめようとしているのです。

そのなかには、楽しい体験、うまく行ったこと、前向きで力まなくても何もかもがスムーズにできた、という体験もあったはずです。それを忘れてネガティブな過去ばかりを参照してきた。

自分自身のネガティブな心理プログラムに気付いたところで、そうならないためには、どのような行動を取れば良いのかを逆算的に思い浮かべることです。

  • そして、過去には、明るい前向きなれたこともあったはずです。
  • あなたの存在を、認めてくれた人もいたはずです。
  • 苦しかった過去、明るい前向きなれた過去、の両方を自分の中で認識することです。
  • 過去のあなたの体験を振り返ること、そして、自分がうまくいかなかったのはなぜか?

を検証することです。

「自分は、これを受け入れてしまったから失敗したんだ」
「自分は、こうしたとき、うまくいったんだ」
「自分が、あのようなことを言ってしまったのはなぜか」

を振り返ることで、自分自身に対して俯瞰的にとらえ、自分自身に対して再認識することができます。

虚しさを感じるのは、創造的な生き方をしていないからだ。
自分にとって大切な目標がないか、あるいは、大切な目標に向けて才能や努力を傾けていないかのどちらか。

私たちは子供の頃、得てして親、周りにいた大人からの庇護のもとにあって、強くその思考や振る舞い方に影響されています。そして大人になり、その支配下から抜け出して、社会の中で自分で決め、歩いて行く時でさえ、無意識のプログラム(ビリーフ)として、【制限/力づけ】の影響を気づかないうちに受けています。

一人の人として人間として、社会の中で一人の人間として、生きて行くとき、未来に向けて生きて行く時でさえ、過去記憶の自分として生きているのです。

 

過去から抜け出すには、未来があることを信じること

自分には、まだ未来があると感じる時、人は前向きになることができます。選択肢が増え、可能性を感じることができます。

しかし、過去の失敗体験、自己卑下、自己憐憫にいきているとき、人は「人生をよくしたい」「いまの自分を変えたい」という意欲を持たず、虚しさとその場任せの生き方をするようになります。楽しさを他に求め、人生を創造的に生きようとはしません。目標をもつことも、目標に向けて新しい体験をしようともしないのです。

これまでの人生のネガティヴな出来事や思考パターンが、過去の体験から生じた心理プログラムによるものだと気づいたということは、まさに、催眠状態から目覚めはじめたことと同じです。

今現在、そして未来を明るい自分らしいものにするには、あなた自身が今現在、未来を、自分自身で生きるときめることです。

上手くういかない人生を恨むのではなく、人生に希望を持つことです。

うらみとは、不当な仕打ちや不公平を盾にして、自分の失敗や自己卑下や自己を受け入れやすくしようとする心理状態で、上記で述べたように、繰り返し負の感情のループにはまり込みます。

うらみは、精神の命取りになる毒であり、幸せになれなくし、何かを成し遂げるために使えたはずの大量のエネルギーを使い果たしてしまいます。

そして、知らぬ間に、虚しさややる気を失い、人生そのものを楽しめなくなるわけです。

だからこそ、あながた過去のネガティブさから脱出する第一歩は、

「自分は、過去のうまくいかなかったことにこだわり、劣等感、自己卑下に落ち行っていたのだ」ことに気づくことです。

人生の中での失敗は、あなたの人格や性格がダメだからではなく、多くの人が体験していることだと知ることです。(他の人、世の中の偉人と言われる人の伝記、Wikipediaでしらべてみること)

時には、なぜ、そうした思考に陥ったのか、過去の体験を思い出すことも必要かもしれません。そしてそれを解放する外部のサポートを利用して、心理プログラムを解放するプロセスやワークを行う必要も出てくるでしょう。

さらに、五感の感覚をよりクリアで、快適なものを選択していくことです。五感の感覚は、あなたの体験するすべてのことを記憶する時の要素となります。
そして今現在の五感の感覚が引き金となって、過去の体験記憶、感情記憶を呼び起こし、あなたを過去に引き戻す強力な牽引力となります。そうした五感からの情報を、心地よい、明るい、気分のいいものに変えていくことです。それは、身体感覚を心地よいものにすることにもつながります。

身体の筋肉が緊張かではなくリラックスしている時というのは、ネガティブな感情を湧きおりようがありません。ストレッチ、散歩、何かしらの運動を定期的におこなって、心身をリラックスさせる習慣を取り入れることです。

人の脳は、常に過去の記憶を参照して、それを元に今現在の振る舞い方を決めていますが、一方で、古い記憶は今現在の思考や感情で上書きされ、その意味を修正することが可能だからです。

そして、快適さを感じたならば、なにか新しいことに取り組むことです。新しいなにかは、達成可能なもので、「自分はこれならばできる」というものを積み重ね、そして少しずつ、ハードルを高くして、チャレンジできるようにする。その時あなたは、過去ではなく未来をみて、未来を感じて生きているのに気づくはずです。

 

未来を信じて、過去を生かす

あなたの人生は、誰のものでもないあなただけのものです。

過去にうまくいかなかった、困難な状況だった、としても、今も未来も、不幸でいなければならない、ということはありません。

それは、試行錯誤したことで、うまくいかなかった、困難な状況も、経験として活かしていこうと思えば、経験知として生きてきます。

過去の出来事や親や周りの大人からのからの心理的な支配から脱出して、未来の自分として生きるには、過去を無かったものにするのではなく、過去の全てを否定するのではなく、認識することです。うまくいかなかった自分を否定するのではなく、受け入れ、それでもなお自分自身を信じること。自分にはまだ、今現在も、未来もあるのだということを、

あなた自身の過去は、活かしてこそ、今そして未来への推進力となるのです。

その時初めてあなたは、変化します。

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