コーチングにしても、NLPにしても、今、なにかを学ぶことはとても重要になっています。
それは、今までの社会のあり方が変わり、それまでの知識や持っているスキルでは通用しなくなってきているからです。よく
- 「身につけた知識は奪われない」
- 「お金や財産は奪われるが、身につけた知識は、社会がどうなろうと、どんな社会になっても奪われない」
- 「だから知識を、身につけることは大切だ」
と言われます。
その時、前提としてあるのが、知識があることで、それを糧に(つまりお金にして)生きて行くことができるということです。つまりこれは、知識がお金や財産の代わりとなる、生きる上での強力な武器となることを意味します。
このことは、ある意味その通りですが、ある一面では事実とは言えません。
もしあなたが、いろいろな知識をもっている人であるなら、なにかの学びをしている最中であるのなら、今一度、何のためにその知識を得たのか、学びをするこことで何を得たいのかを再認識してください。
情報を持つことで起きる間違いと、情報の正しい使い方
「知っている」と「できる」は違うと知ること
「学んだ知識は、世の中かがどうなろうと、奪われることはない」
そうしたことを、言っているのは、ほとんどの場合、なんらかの情報や知識を教えるビジネスをしている人や講師の人です。
しかしながら、よくよく考えれば、知識や情報があったとしても、それを生かす道(方法)を知らなければそれを糧として活用することはできません。
学びが必要だと言われる時代に、時代の変化の時に、生きて行くすべてとして多くの人が新しい何か、コーチングやNLPやカウンセリング、あるいは他の何のなにか、高額なビジネスセミナーや資格取得、ということで学んで役立てようとしています。
- 資格がえられる職業技術を学んだり、
- 好きな分野や教養関係の能力を高めたり
あるいは、
たくさんの書籍を読んで知識を深めたり
他の国の文化について深く学ぶ
とさまざまな学びの形があります。
新しいことを学びはじめるときというのは、ドーパミンが排出されて楽しくなる。前向きになることで、意欲的にもなれます。
「本を読まない人が多い中で、本を読むことはそれだけで他の人から一歩抜きん出ることができる」なんてことをいう人もいます。
有識者と呼ばれる人たちは、多くの新聞を購読し、そこから世の中の情報を入手しそれをTVやマスコミで発言しているからでしょう。
しかし、どうでしょうか?
文章や、情報を取り入れることは、知識や言葉の意味を理解する上ではとても有効な方法です。しかし、知っていることと、それを何に活かすのかは別のことだと理解していますか?。そもそも私たちは、新しいことを身につけるには、幾つもの学種段階があるとされています。
アブラハム・ハロルド・マズロー(1908~1970)は、人の欲求には五つの段階があることを提唱したことで知られていますが、同時に人が物事を学習していくには五つの段階がある学習の5段階レベルについても学説を掲げていました。
アブラハム・ハロルド・マズロー(1908~1970)は、人の欲求には五つの段階があることを提唱したことで知られていますが、同時に人が物事を学習していくには五つの段階がある学習の5段階レベルについても学説を掲げていました。
<学習の段階>人が何かを学ぶとき、修学する時間や学びの内容は人それぞれ違いますが、学びを行いそれを支えるようになるプロセスは共通しています。
第一段階:無意識的無能(知らない、できない)→何かに対して知らない、知らないということも気づいていない、知らない。
第二段階:意識的無能(知っていても、できない)→何かの知識は知っていても、実践できない。手本を見ないとできない。
第三段階:意識的有能(考えると、できる)→意識しないとできない。習慣化するほどの状態ではなく「やろう!」と決めて行えるレベル。
第四段階:無意識的有能(考えなくても、できる)→意識しなくても、当たり前にできる。自然にできる段階。
第五段階:無意識的有能に意識的有能(どこからでも、他者に教えられる)→知識を自分の体験を通して、自分の言葉で相手のレベルに合わせて伝えることができるという五つの段階を経て、人は物事を学びます。
補助輪のない自転車を乗れるようになる段階を考えても、最初は、どうやってペダルを漕いだらいいのかさえわからない段階(1)で、人に教えてもらったり、人が自転車に乗っているのをみて(2)、姿勢を伸ばしてペダルを漕ぐ、ハンドルについたブレーキを握ると止まるのだと意識しながら乗る(3)、それを繰り返すうちに、ペダルの位置や漕ぐ速さ、ハンドル操作を意識しなくても自転車を漕げるようになる(4)、そして、何年も自転車を乗るようになって、初めて人に教えられるようになる(5)のです。
知識があるというのは、学習レベルで言えば(2)の段階で、その段階では教本を見なければわからない状態で、それが奪われれば何もできないし、活かして糧にすることもできません。
そして、知識や情報は、それを使う人・あなた自身が「どうしたいか」がなければ使いようがありませんし、使おうともしません。
自転車の乗り方を知らない、でも自転車に乗ることが必要だから(買い物に、子供を乗せるのに)、自転車の乗り方を覚えようとするのです。
「学ぶことは尊い」「勉強することは偉い」という思い込みからか、本を読んだりセミナーで学んだり、というとそれだけで満足してしまう人も多いのです。

知識や情報を得る前と得てから、それを活かすためには?
学ぶことは、知識や情報を取り入れることは、生きていく上で大切なことです。しかし、それを得る前、得てから、それを活かすには、「何のために」という目的を、明確にすることです。
そんなこと、わかっている。これからの人生に生かしたいんだ!。
だから、学ぼうとしているんでしょ。
というかもしれません。しかし、情報を得る前に最初からはっきりと、明確に、具体的に、その知識や情報を使うのかということを、わかっていることなんてありません。
なんとなく、ぼんやりとは、いいえあなたの中では明確なものとして掲げていることでしょう
- 「これから先の人生、会社に勤めているだけでは不安だ。だから〇〇を学んで、生かしていこう」
- 「〇〇を学んで、起業しよう」
- 「人と接するのが好きだから、〇〇を学ぼう」
というように・・・。しかし、それは明確とは言えませんし、実際にその知識やスキルについて何も知らない第一段階で想定した目標や理想は、第二段階で知った時、実践して使えるようになる第三段階、第四段階、では変わってくるのです。
そして、実際になにかを学び、知識や情報、技術を習得していると、新しく脳の回路ができる(脳の神経細胞シナプスが結合される)と、それまで感じていたことと別の視点や考えが生じます。
つまりは、学び始めた最初と、それを学んだ後とでは、新しい脳の神経回路の結びつきで、違う考えや想いが生じている、違う気づきが生じる物だということです。
だからこそ、
- 学びをしながら、「その知識や習得したスキルは、どのように活用できるのか」を感じながら、学ぶこと。
- 学びが終わった後、「何のために」という目的を再認識すること。
- 学んだ知識や習得したスキルは、その目的に適しているか?。
- 学んだ知識や習得したスキルのほかに、必要な知識や情報、スキルがあるか?。
を検証する必要があります。
学んだ後には、「情報を得る前の目的が明確になること」もあれば、逆に、「最初の目的を忘れてしまうこと」が生じます。学ぶことが楽しくなって、学ぶことそれ自体を目的にしてしまうことさえあります。
学んだ知識や習得したスキル、それ自体はお金もかけてきた、素晴らしいものだから、として、最初の目的を忘れてそれに入れ込んでしまい、学んだ知識やスキルを広めることを目的にしてしまいます。
学んだ知識や習得したスキルだけでその目的を叶えようとして、それ以外の他の情報やスキルが要ることに意識が向かない状態になることさえあります(人はお金をかけたものに対して、過大評価してしまいます)。
実のところ、それだけで目的が叶うことはほとんどありません。ほかにどんなことが必要なのか、その知識やスキルを活かすには、ほかに何をする必要があるのかを、検証する必要があります。
- その情報が自分にとってどのようなものになるのか
- これから先の未来において、あなた自身はどう生きたいのか
そのことをよくよく考えた上で、何かを学ぶことをしないと、お金をかけただけで、何にも使えないという不良在庫のようになってしまいます。

知識も技術も、永遠なものではないと知ること
「どんな社会になろうとも、学んだ知識やスキルは奪われない」
それは一面では確かなことですが、同時に、知識やスキルは、時代によって通用しなくなるということも理解しておくことです。
昭和の時代、塗装工はペンキをいかに刷毛で綺麗に塗るかという技術があれば成り立つ仕事?だったと思います。しかし、時代が変われば、エアーブラシのような機械を使える技術やお風呂屋さんの富士山の絵を美しく描く」というような技術、新しいなにかを取り入れることなしには、生き残ることが難しくなってしまいました。ペンキで描かれていた看板は、写真や印刷技術に変わり、現在では、デジタルサイネージというデジタル機器を使った表現に変わっています。
母方の叔父に、塗装工をしていたものの次第に仕事がなくなりという人がいた。
もちろん、廃れない知識や技術もあるでしょう。しかし、伝統工芸や神社仏閣を建てる宮大工のような仕事。こうした人が伝える伝承系の知識やスキルも時代によって素材や作り方を少しずつ変えていくことで、その知識や技術が後世に伝えられています。
知識も技術も、情報も、社会の変化によって廃れる。そのままでは通用しなくなる。
ということを理解しておくことです。だからこそ、社会の変化、時代の変遷を感じ取り、自分自身を変化させ、知識や情報を新しく取り入れていくことが大切になります。
身につけた知識は、どんな社会になっても、どんな時代になっても奪われることはない。
それは確かなことですが、知識を使えるか、活用できるかは、社会の変化によって変わり、それを使いこなすかどうかは、あなた次第だということです。

たくさんの情報を持っていることと、それを活用できるのとは違う
この5月に入って、自分の身の回りのものの片付けモードになっています。
私は普段生活している空間に、本棚を置いていません。常に本のタイトルの文字が視覚に入ってくると、その文字の意味が思考の干渉となってしまうので、押入れの中に仮の本棚を段ボールで作ってそこに納めています。それが、溢れかえってきて鬱蒼としてきたことがきっかけで、蔵書をはじめとしてその押入れの中に入っている書類やら、Apple製品の箱やら、雑貨類、そのほかの場所にあるもう使わないだろうというものが気になり出してきたことがきっかけです。
そうした中には、以前マクロビオティックを実践していた時、料理関係の仕事に活用できそうな、気になった本のコピーがやたらにありました。
そうしたコピー用紙という情報たちをみて、「あ〜自分は、料理の情報をたくさん知っている。だから、仕事にできる」と思い込んでいたなぁ」と、かつての自分を思い出しました。
もちろん、そうした情報をもとにして、新しいレシピを作り込んだり仕事(米飯の商品開発、料理講習会の企画)の参考にもしましたし、実際に作ってみたものもあります。しかし、実際にはたくさんの情報を持っていたとしても、それをどう活用するのか、活用するプロセスを描けず、理想ばかり(「こうなりたい」「こういうことをしてみたい」)ばかりが大きくなって、悶々とすることも多かったのも事実です。
マクロビオティックをもとにして、身体に良い食事、日本の郷土食、現代の今にあったものをとりいれながら・・・が大切だとして取り組んできましたが、それだけで(想いだけで)実際に、自分らしい特徴・個性を出すことも(出しているつもりだっただけで)できていなかった。
明確にしていたつもりでも、具体的なプロセスを描こうとしても自分の中で妨げていたものがありました。そのプロセスを行おうとするとゼロからこちらから動き出すのに、無償で動くことが想定され、それが利益を生むかどうかわからないというものだったからです。戦後かわってしまった日本の食のあり方、郷土食を守る」という志を持っていても、志だけでは続かないのです。
たくさんの料理の資料、書籍のコピー用紙を見ながら、「たくさんの情報を持っていることと、それを使って活躍できることは違う」そんなことを感じました。
その頃と比べても今は、インターネットをはじめとしてたくさんの情報に溢れている時代です。
リスキリングが推奨され、学び直しが叫ばれ、コーチングにしてもNLPにしても、それに関連するセミナーでたくさんのスキルやノウハウを学んでいる人もたくさんいますし、そうした人たちも周りにいます。
そうした学びは、タダではなく、ん十万、ん百万、もかかることがほとんどです。私自身もマクロビオティックではかなりのお金をかけましたし、NLPに関しても、必要最低限ではあっても、そこそこお金はかかりました。
NLPのセミナー講師にも言われましたが、「ここで学んだことに使ったお金を回収する意識を持つこと」。
つまり、セミナー代の元をとることを考えることだということです。しかし、学んだ情報にかかったお金を回収するには、そのん十万、ん百万の情報以外のことが必要になるのです。けれども、お金がかかった分、それが素晴らしいものだと思えば思うほど、他に必要なことがあることに意識は向きません。
つまり、自分の感覚や体験を通して表現するということに・・・・・。2025年の現在、Ai化が進んでいる中で、Webマーケティングの世界でも個人の体験を組み合わせたコンテンツが重要視されています。なぜなら、Aiは個人的な体験を持っていないから。
だからこそ、学んだ知識や情報、能力やスキルを、あなたの体験を通したあなたの言葉で表現することがとても重要になるのです。
情報を持っているだけではそれを活用することはでず、学んだ情報を、受け売りのまま表現してもそれには何の意味もなく、ただの情報の伝達に過ぎません。
たくさんの知識、情報は、それを表現する文章力や表現力がなければ、あなたの中にある知識や情報は、【何もない】のと同じことです。なぜなら、ほかの人はあなたを見ただけで、「〜〜〜を学んだ人だ、〜〜〜の情報を持っている人だ」とはわからないのです。
もちろん、SNSにプロフィールとして、学んだことを表記することで知ってもらうことはできます。しかし、ほかの人は、それがどのようなもので、自分にどう役に立つのかは、資格だけは分かりません。
たくさんの知識、情報は、何らかの形で表現しなければ、ほかの人に分かる形で表現しなければ、無いのもおなじことなのです。NLPやコーチングのセミナートレーナーの資格を取得したり、関連のセミナーを多く受けた人ほど(お金をかけて情報を入手した人ほど)、「自分は素晴らしいものを知っている」で止まってしまい、その先の【それをどう活用するのか】ということに思考が向かない人が多いのです。
私自身も、マクロビオティックを実践していた時にこの間違いにはまりこんでいました。
マクロビオティックは素晴らしいものだから、それだけで、人生は良くなるはずだ。もっとお金も稼げて、活躍できるはずだ。と
しかし、知識や能力やスキルは、使うからこそ、それとして生きるのです。
モノや道具も、使わなければただの<置物>です。知識や能力やスキルも、モノや道具となじで使ってこそです。

得た情報を「どう使うか」を決めることで、初めて活きる
上記で述べたように、情報や知識は、知っているだけでは使いこなすまでにはなっていません。
たくさんの情報を知っていれば、うまくいく!
こうした間違えをしないようにするには、
- あなたが「何をしたいのか」を再確認することです。
- あなたが、「その情報を使って、何をしたいのか」
- あなたが、「その情報を手に入れた、目的はなんなのか」
そして、何をしたいのか、その情報を得た目的と、これまでの自分の経験、情報を組み合わせて→ 一つの形(商品やサービス)にすることです。(私はそれこそ、一つの形にする時、また新たに本を読んだりしつつも、これまでの経験やNLPのプロセスを使って、コーチングやセミナーのプログラム、コンテンツを作り込んできました。)
そして、SNSやインターネットを通して、発信することです。世の中を見れば、一般の企業でも今や情報発信は必須のことで、「えっ、この企業でも?こういう発信をしているんだ」というのを目にすることがあります。
あなたの知っている情報は、それだけでは、何の価値もありません。
あなたというフィルターを通して、形にする、表に出すことで、同じ情報であっても、別の色、特色をもった情報となります。私自身も、マクロビオティックを実践し、カフェ運営や料理講習会を企画していた時は、ブログも活用してはいました。
お弁当の写真をアップしたり
料理講習会の様子をアップしたり
多くの情報が飛び交う政界の中で、それを見つけて、講習会に来てくれた生徒さんもいます。しかし、マクロビオティックの枠内でしかなく、他の特色ある、先人講師たちの中に埋もれていたと思います。先人と競えというのではないのです。自分の特色を持たないことには、結局のところ情報を表に出しても他の人には【わからない】ままなのです。
それほど今は、多くの情報がある、多様なものがある、世の中なのだということです。
あなたが持っている情報と同じ情報を持っている人が、数限りなくいる世の中なのだということです。(NLPトレーナーにしても今は山ほど存在していますし、コーチングを学んだコーチも山ほどいます)
だからこそ、あなたが得た情報・知識をどう使うかを決める。
情報・知識を持っているだけで満足するのではなく、それをどう活用するかを決める。それを繰り返し使い、自分のものとする。
そうしたとき、初めてあなたの持っている情報・知識は、価値を持つようになる。価値を持つことで、それを糧にして生きていくことができるのです。
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