人間関係

人間関係の基本は、独立自尊でいい

2024年12月5日

こんな方におすすめ

  • いつも、常に、誰かに気を遣ってしまう方
  • こ人の言動が気になって、それが始終頭から離れない方
  • 人が思うように反応してくれず、イラッとすることが多い方

あなたは、あなたの周りの人との関係に悩んでいますか?

そんなあなたは、人一倍優しくて、気遣いのできる人なのではないでしょうか?

そんなあなたに、気を揉ませ、悩ませている人、それは誰でしょうか?

家族、親戚、近所の人、恋人、友人、上司、部下、個人事業の取引先、そのほか・・・・。

しかし、そうした人たちは、あなたにとってどれだけ大切な人なのでしょうか?。

あなたに過剰に気を遣わせ、気を揉ませ、悩ませている人は、あなたにとって本当に必要な人ですか?

実は、私もそうした気を揉んで、気を遣ってしまっていた過去があります。

思っていることもあまり言えず、その人の態度に行動に、過剰に気を遣っていたと思います。

しかし、今思えば、そうした人たちに気を使う時間があったら、もっと自分のやりたいことや自分の大切なことに時間をとっていた方が良かったと思います。

しかし、そうした人間関係に悩んでいたのは、自分自身も相手になにかを求めていたからです。

  • 他者に対しての無意識的な期待
  • 他者に対しての過剰なへりくだり

そうしたものを持ち続けていると何時まで経っても自分の望むようになれません。

そうしたものがあるのを気が付かないと、何時まで経ってもあなた自身のやりたいことを表現できません

あなたがこれから先、生きていく上で自分らしくあるには、人付き合い、人間関係における、あなた自身の在り方から見直すことです。

人付き合いで悩まない極意は、独立自尊であることです。

悩まない人間関係を築く極意・独立自尊とは

人間関係に悩むときに心の内側にあるもの

私たちが、他者に対して悩むときというのは

自分がその人に対してしていることに、相手の言葉や態度がそれに応えてくれるものではない

自分が望んでいることに、その人が自分の思うような反応をしてくれない

というとき、

気を揉んだり、傷ついたり、イライラしたりするのではないでしょうか?。

仕事場でも、家庭でも、ご近所づきあいでも、親戚でも、趣味の世界のコミュニティでも、人がいる中ではそうした人間関係を気に病むことが少なからずおきるものです。

そのときの、自分の感情を言葉にできない、適切な態度に示せないが故に、余計に自分の中で、他者に対しての思いが増幅してしまい、ときには言い争いの喧嘩にもなることもある。

しかし、その内側には

「自分を理解して欲しい」

「人によく思われたい」

「もっと自分を理解してほしい」

という気持ちがどこかにあるものです。

それは、相手に期待するが故に、相手に対しての甘えがあるが故に湧き起こります。そして相手が自分に対してその想いに返してくれ、自分も相手を尊重することができるとき、親愛の情が生まれます。

しかし、そうした親密さはときには壊れます。継続しないのです。

親密な、夫婦や恋人、家族関係であってもですし、ましてや他人なら尚更です。

そもそも、人間関係生まれるのは何らかの共通する関係性があってのことで、関わり合いの中でどのようなやり取りがあったかです。何度も繰り返し会う、共感し合う部分がある、共通点がある(同じ学校、同じものを持つ、など)という関わりの中で、親密化疎遠かで、関係を持続するか終了させるかも決まります。

しかし、人は自分の思う通りには反応してはくれません。

得てして人は、自分自身と他者を同化(同じものだと)して、人を見ています。

自分は自分が一番大切な存在なように、その人はその人が一番大切な存在でいいのです。
(よく、他者のために、人のためが大事、と唱える方もいますが、自分を大切にできない人は、人も大切にはできませんから、他者を大切にするのことができるのは、自分を大切にできる人だけです。)

自分の視点、自分を主体に考えて、その人を

だからこそ人との関係は、ドライなくらいがちょうどいいのです。

だからこそ人との関係は、独立自尊なくらいがちょうどいいのです。

 

独立自尊な人間関係とは


独立自尊とは;

福沢諭吉が残した有名な言葉の一つで「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位をはずかしめざるもの、これを独立自尊の人と言う」

つまり「人頼みにせず、自分の行いに責任を持ち、自らを高めていくこと、個人としての品格を保つこと」

「人に頼らずに自分の力だけで事を行い、自己の人格・尊厳を保つこと」

を意味します。

独立自尊の人間関係を作り上げるには、

“自分は独立した一人の人間である”ことが前提です。

私たちは、社会で生きていく中では人との関係がなくては成り立ちません。それは前提としてありますが、しかしそれは、お互いが一人一人の人間として、その人らしくいられるかどうかがあってこそです。

親密に慣ればなるほど、親密だと思っている関係であればあるほど、人に対して過剰に期待したり、自分をよく見せたかったり、いい人であろうとしたり、してしまいます。それらはどれも、どこか人に対しての依存(こうしてほしい)があるのではないでしょうか?。

人に期待したり、人への甘え、があると、自分が過剰にへり下ってしまったり、自分の正義や信念を無視してしまいがちです。

人に依存してしまうと、「こうしてほしい」気持ちが募ると、そうしてくれない相手に苛立ち、時には、「自分が悪いせいなのだ」という勘違いをしてしまいます。

自分の正しいと思っていること、信じていることを無視してしまうと、どのような関係であっても軋みが生まれ、長続きはしませんし、長く続けようとすると結果として、(無意識的にそれを保とうとして)自分を押さえて相手主体で生きるようになってしまいます。気を使い、全ての行動や判断を、自分が心地よいと思うことさえ、相手に依存してしまいます。

逆に、

「自分のことを解ってくれて当然」として、自分の正しさを相手に押し付けたりしてしまうのも、これも裏を返せば「解ってくれて当然だ」という依存からです。

あなたが人との関係に悩むとき、あなたの心のどこかに「人からよく思われたい」「解ってくれて当然だ」という心理がないでしょうか?。そしてそれは、あなたにとって本当に必要なことなのでしょうか?。

 

人間関係に依存が生じる背景にある心理

そうした他者に対しての依存心は、自尊心の低さ(あるいは、自己重要感の低さ)から生じます。

他者を気遣うことで、自分を受け入れてもらえるだろう
他者を尊重することで、自分を認めてくれるだろう
自分のことを解ってくれれば、自分が満たされる

というような、常に他者の目線を考えながら、人付き合いをすると、自分の気持ちがあってもそれを抑えてしまい、相手に伝えることもできず、どうしていいかわからないまま、気持ちを抱え込みます。

他者が、自分の気持ちをわかってくれるかどうか、を人付き合いの基準にしてしまうと、常に人に対して自分の視点で求めますが、自分の主張ばかりを押し通して人間関係に歪みが生じます。「自分は〜」「自分が!」と我を通す人は、煙たがれるのです。

この世界では、多くの人が大人になっても、自己重要感が低いままでいることがほとんどです。そうした心理パターンがあることすら知りません。

特に日本では、幼少期から

  • 図に載るな
  • 謙虚こそ美徳
  • 自分のためより人のため

であることが良しとされ、自己重要感が満たされることがほとんどないまま大人になります。いま、あちこちで散見される出来事のほとんどは、そうした自己重要感が満たされないまま成長した歪みのように感じるのは、当然と言えば当然のことだと感じます。

参考ページ
日本人の多くが持っている、人生を台無しにする重要な心理的要素

続きを見る

人生に多くの影響が現れる自己重要感を満たすには、他者の力を当てにするよりも、自分自身がどうするかの方が大切です。

自分自身が「自分は重要な存在だ」「自分はこの世で自分らしく生きるために生まれてきた」と実感するからこそ、「自分がここにいて、自分らしく生きて良い重要な存在なのだ」と思うことができるからです。

自分で自分を満たす

それには、自分は大切な存在なのだと実感することです。

物やお金の有無で測るのではなく、生まれや育ちの環境で測るのではなく、他者に過剰に尽くすことからでもなく、あなたが、あなた自身のこれまでを認め、プラスの捉え方をすることです。

気持ちで、ポジティブシンキングになれ、というのでは難しいということも百も承知です。

人は、頭で(思考で)気持ちを変えようとしても、それまでの慣れたパターンで考えることをしています。

そうした時は、思考ではなく、感覚を取り入れることです。

●自己重要感を満たすに使う感覚とは

  • あなた自身の感覚・五感の感覚で受け取っている意識的に選び、心地よいものにする
  • 日々忙しい中でも、自分を労る時間を持つ
  • 過去の体験の中で、褒められたこと、上手くできたこと、楽しかったこと、を思い出す
  • 運動や動く習慣を取り入れ、身体をリラックスさせる
    など、心地よい感覚をもつことを実践することです。

身体と心がリラックスしている感覚の時には、ネガティヴな感情になることは難しく、連動して思考パターンや自分に対するイメージも変わってきます。

他者に注意を向けるのではなく、自分の行動や価値を他者の基準に合わせることに注力するのではなく、まず、自分が心にあること(価値観や自己重要感)を中心に考えることができれば、他者にも自分自身にもそれぞれが、一人の人間として並び立つことができる。

それこそが、独立、自尊の精神です。

 

個人がビジネスを始める時には、独立自尊の精神が重要

ことに、ビジネスをしていると取引先と自社で仕事をもらう立場であったりすると、自ずと上下関係が発生し、常に(仕事の時間外であっても)取引先からの電話に出なければならなかったり、下僕のようになってしまう関係が生じます。それもまた、相手によく思ってもらいたい、仕事をもらいたい、という依存でもあります。

私のように個人で仕事をすると、つい相手に合わせてしまったり、人の様子が気になったりして、振り回されてしまうという心理的な状況になってしまいます。

私自身も以前は、独立自尊とはほど遠い、人に振り回されることの多い人間でした。

料理講習会をしていた頃には、母が親御さんから様子を見るのを頼まれていた近所のちびっ子が突然くることもあり、試作を兼ねて一緒にケーキやクッキーを作っては、親御さんが仕事から帰ってくると作ったお菓子を持って帰ることもしばしば。

そのあとまたきた時に、「あのケーキ食べた?」と聞くと食べてない」と言われると

「材料が何使ってるかわからないからだろうか?」
「見た目がガサガサして、不味そうに見えるからだろうか?」

とか、親御さんが食べさせないということに対して、過剰に気遣い、お菓子の出来に対しての評価として「食べてもらえない」というように捉えていました。我が家が頂いたものでも「食べ物は粗末にしない」と育てられていた分、余計にあれこれと勘繰ってしまっていました。

今思えば、「料理講習会をしている自分、作った食べ物への評価が気になっていたり、その評価と自分自身のレシピや自分自身の評価を結びつけて考えていたように思います。

それは、告知した会に人が反応してくれなかったり、来てくれなかったり、という時の気持ちにも表れていました。

今思えば、それも人に対する依存や期待で、それ以外に必要なプロセスがあることを理解していないがためでもありました。

もちろん仕事の場合は、他者の評価や反応というのは、自分の給料や営業成績にも直結した切実な部分があります。

しかし、そこに依存心があると、自分の状況に対して冷静に判断できなくなり、必要なプロセスを見出すことができなくなります。そして、対等なビジネスではなくなり、あなた自身はますます卑屈になって、結果として相手側もあなたからベストなもの(商品、知識、情報 など)が得られなくなるわけです。

特に個人で、自分の特技やスキルや学んだことを活かして、自分で何か始めたい、仕事として行きたいという時、「まずは人脈だ〜!」とばかりに、人の集いに出かけたり、知り合いや友人に会いにいくことをしがちですが、真っ先にそれをすることで、時間の浪費をまねき、人が関心を持ってくれないことで気持ちもペチャンコになります。

人の集いの中で知り合い、友人が、いきなり営業的なトークをされたら、どんな気持ちになるでしょうか?

それもまた、人に対する一方的な依存であることに気がつかないままで、人脈作らなきゃと焦るほど上手くいくことはありません。それに、やるべきことは、そこからではないのです。

私自身、このことに気づいてから、「自分は今、何をするべきなのか」を心の中心に置いています。その上で人に対してどう接するかも分かってくるからです。

独立自尊の精神は、“自分の気持ち、考えを中心に置くこと”です。

自分が中心であれば、人の反応に対して揺れ動くことはありません。

人がこう反応したから、こうしなければならない
人がこう言っていたから、こう考えなければいけない。

と常に揺れ動いていては、自分が本当に理想とする何か、行き着きたい目標に辿り着くことはできません。人を相手にしていると、このことを勘違いしやすく、常に人ヤキモキさせられるのです。見るべき感じるべきはまず自分の在り方です

だからこそ、独立自尊の精神を忘れてはいけません。(と、こう書いている私自身も言い聞かせているのですが・・・)

あなたがどうあるべきか。

まずは、そこからです。

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