こんな方におすすめ
- 親しい人、家族を亡くして悲しみの中にある方
- 親しい人、家族が亡くなったことを受け止めきれない方
父がなくなり、一年が経ちました。
母の時にはなかった、寂しさ、悲しさが、亡くなってしばらくは油断するとブワッと襲ってきていました。
最愛の、というとこそばゆいですが、身近な家族が亡くなるということは、本当に辛いことなのだとあららめて実感しています。
倒れて入院していた間は面会にもいけない状況から2ヶ月余りは自宅で介護することを選択し、回復する希望を持っていました。身体的には眠れなかったり心配があったり、やることが多かったりで大変な時期で、最終的には自宅で看取ることになり<死>というものを近くで感じた時でした。
- 悲しみと合わせて、湧き上がってきた「悔しさ」。
- 回復させることが叶わなかった、「憤り」。
それらを感じながら号泣しました。
思うに、昨年は多くのかたが、最愛の家族の最後を看取ることもできず、ただ死んだという知らせだけで、その死をどういけて止めていいのかわからない、受け止めることもままならない方が、多くいたのではないでしょうか?。
家族を亡くした人のその裏には、多くの「なぜ」「どうして」という感情があるのではないでしょうか?。
私自身も、その感情が最初にあふれ、悔しさや、もっとこうしてあげればよかった
我慢ばかりさせてしまった
待たせてばかりさせてしまった
という後悔も湧いてきました。
本当は、自由にあちこち行きたかったであろう
本当は、あのことをしたかったであろう。
本当は、もっと言いたかったであろう
という父の感情をあれこれ感じるたびに、つらつらと涙が出てきます。
最愛の家族、身近な人が亡くなるということの裏には、多くの感情があります。
そうした、身近な人、最愛の人、が亡くなった時の対処法を、父への思いも込めてまとめてみました。
最愛の家族(人)が亡くなった時の気持ちのその後の対処法
喪失感や悲しみの心理的なケア・グリーフケアというものがある
身近な家族(人)、最愛の家族(人)が亡くなった時、残された者は
・その人がいなくなった深い喪失感、悲しみ、という感情
・なんで、どうして?、という怒りにも似た悔しさのような感情
という強い感情がわきおこります。
メモ:
悲しみの表現方法として、
悲しみの代理感情は・・・・怒り
怒りの代理感情は・・・・・悲しみ があります。
私の場合油断すると、亡くなった時の事を思い出して、悲しみの感情が嗚咽を引き起こして過呼吸のようになったりしました。
悲しみや喪失感のようななんらかの強いマイナス感情は、長引かせてしまうと様々な部分で影響をもたらします。例えば、
- 身体的な部分
精神的な部分が影響する胃腸、悲しみの感情がたまる肺、自律神経が影響する睡眠や食欲、体のだるさ、血行不良に関係する肩こりや、ショックによる毛髪の白髪化、これらの機能が複合的に関わる全体的な体の機能の低下など、感情や精神的な状態が身体に影響することが広く知られるようになってきています。
- ◎精神的な悪化
さらに、精神的なマイナス部分がさらに深くなり、悲しみや喪失感から抜け出せず、孤独感や自責感、無気力、不安感、感情を感じなくなる、無気力など他の感情を引き起こしてしまうこともあります。そして拗らせて鬱のようになることあります。
- 日常行動の不調
仕事や日常生活を送ること、食事を作ったり、洗濯したり、片付けたり、に対してその人を思い出して、手につけられない、何もやる気が起きないなど、生きていく上で最低限必要な活動をすることさえもする気になれない、体がついていかないなど行動への不調もあります。
など、人によってさまざまに、その日常生活や状態になんらかの影響が現れることがあります。もちろん、これらは複合的に影響しあっていますし、置かれている状況や環境、これまでのあなたの気質なども影響してきますから、一概には言えません。これが難しいところです。
現れる場合もあれば、些細な場合もあります。
できなことが悪いわけでも、できることが良いわけでもありません。
悲しみが強ければ悪いわけでも、いいわけでもありません。
悲しいが薄ければ悪いわけでも、良いわけでもありません。
ただ、身近な人が亡くなった時には、これまでの感情や行動とは違う、なんらかの影響があることを理解することです。
そうした悲しみや喪失感に対処するケア方法として<グリーフケア>というものがあります。
NLP心理学においてもグリーフケアワークというプロセスで、喪失感、喪失するかもしれない恐れに対してケアする方法がありこのグリーフケアという言葉を初めて知ったのはこのNLPを習得時でしたが、母が亡くなって寺社を探していた時に参加したお寺で関係者の方が<グリーフケア>をしているということでまたこの言葉と出会いました。
私自身、今回、これほどまでに【強い悲しみの感情】が湧いてきたことはこれまでにありませんでいた。
心理学やコーチングを学んでいたとしても、悲しみの感情が湧いてくる。それは自然なことで、どなたでもそうした強い悲しみの感情、喪失感があるのは当然のことなのです。
ですが、上記で述べたように、そうした感情は長引かせてしまうことでマイナスな状況状態を引き起こすこともあり得ます。自然な形で解消する場合もありますが、悲しみの中で辛い状況の時対処できるサポートの存在があること、その方法があることを知ってください。
悲しみの感情を押さえ込まない
身近な人、家族が亡くなった時、それ以外の時でも、人は時としてなんらかの強い感情が沸くものです。
感情をどう扱ったら良いのか?
このサイトでも感情についてよくアップしています。
「良い感情がいい現実を作る」ということを伝えていますが、悲しみの感情や喪失感、その中にどっぷり入ってしまっている時、無理に押さえ込んでポジティブになろうとしなくてもいいのです。
- 悲しみの感情、喪失感を感じる時
- 嬉しさの感情のある時
全ての感情は、表に出して、言葉に出して、体現して 表現することです。
普段から、思考や感情状態に対して意識をしている人は、<悲しみの感情>から、何かのきっかけで涙が溢れてくることがあります。それはそのまま出してしまいましょう。NLPマネークリニック(R)でも制限のビリーフに触れ、自分がこれまで抱えていた制限的な意識や感情に気づくと涙を流す方もいます。泣くのがみっともないから、メイクが落ちるから・・と涙を止めてしまうことはありません。
悲しみは、悲しみのまま。
不安は、不安のまま。
嬉しさは、嬉しさのまま。
感情を表現する
感情と身体状況はリンクすると伝えましたが、悲しみや喪失感、(あるいはそれに伴う怒りの感情)は溜め込んでしまう時、それはあなたの中、体の中にしかしまうことはできません。表に出ようとするものを無理に抑え込んで止めてしまうから影響があるのです。
勢いよく出ようとする川の流れを止めようとすると、逆に橋や土手を流してしまうことがあるでしょう?。
それと同じことです。
悲しみの感情を、感じないようにすることはできます。
ですが、無理にポジティブにならなくても良いのです。
悲しみの感情は、悲しいと素直に表現してください。
また、感情は過去の体験の記憶ともリンクしています。溢れてきた感情をそのまま出してあげることで、過去の体験の記憶を自分なりに整理することができます。つまり、意味づけを自分なりに持つことができるのです。
悲しみの感情を別の出来事で上書きする
自己啓発やスピリチュアル的な観点では、【過去に囚われてはいけない。常に今現在の意識前向きで有ること】が良しとされています。
私自身も、そうした言い方をする時があります。
なぜなら、過去にどんな辛い出来事があったとしても、今現在が楽しく幸せであれば考え方や行動に影響を及ぼし、その過去の記憶それ自体が少しずつ変わっていくという心の仕組みがあるからです。
- 最愛の家族
- 身近な誰か
が亡くなった時、悲しみや喪失感の中にある時、過去に囚われるのではなく【その人との思い出に向き合う】という姿勢で過ごしてみてはいかがでしょう?。
家族であれば、亡くなった後の公的な手続きの必要性が出てきますし、身の回りの整理などが出てきます。
- 遺影のためにその人の写真をみたり、
- 保険証を返却したり、
- 相続のための戸籍の収集、
- その人の身の回りの道具、洋服の整理、
そうしたものに触れながら、その人の思い出に向き合ったり、その人の気質や気持ちを読み解く時間になります。
忘れるためではなく、その人と過ごした時間を自分なりに意味づけしていくことで【悲しみ】、【喪失感】、【それに伴う不安感】とは別の状態、別の感情があることを思い出して、その状態、感情に上書きするのです。
NLPのグリーフケアの場合は、サブモダリティという五感の感覚の状態変化をすることで変化させることをします。
私自身が、自然と泣かなくなれたのは、身内のしを受け入れられたのには、いくつかのプロセスがあります。
◎アルバム
遺影探しのため古いアルバムを引っ張り出してみると、楽しそうに仕事仲間と映っていたり、旅行したりした写真から充実した楽しい人生だったのだと父の人生を肯定的にみることができた。
◎戸籍の収集
相続のための戸籍を、できる範囲で自分でしました。知らなかった父の子供の頃の記録や過ごした場所をたどると、その内面や祖母に心配をかけていた行動の理由がわかる気がしました。そこからその人への理解を深めることができた。
◎遺品の整理
父のものに限らず、今まで手付かずだった家の中の不用品を片付けはじめました。まだ全て処分したわけではありませんが、気になるところから片付けることで、体を動かすこと、目に見える環境を変えることで心理的に変化を起こすことができます。(心身一如:心と体は繋がっている)いらないものを捨てることは、プラスの意識に切り替わるきっかけとなります。
◎ドラマや漫画
今までもドラマを定期的にみてきましたが、気になるドラマや映像をみることは感情のスイッチが切り替わるいい手段です。私たちは体験とそれに伴う感情は五感の感覚と紐づけられて記憶しているので、ドラマや映像は五感の視覚、聴覚に働きかけ出入りする情報が新たに加わるので、それまで停滞していた【悲しみ】の五感情報が切り替わりやすくなります。前向きなるもの、同じような悲しみの感覚になるもの、その時にフィットするものを選んでみるのはおすすめです。ドラマはいつものこと、UNEXTやiBookで久しぶりに漫画をみてました。歴史物中心ですが。
その死の意味づけをする
人はいつかは、この世にいた肉体としての生はなくなる。
それは、もしかしたら、人それぞれ生まれた時から設定しているのかもしれない。(アカシックレコードという考え方もありますが・・・・)
私自身は、なぜか昔から漠然と「92歳頃まで、歳をとっても元気で働いていてお店などで接客して働いている」というイメージを持っています。
この間、NHKのプロファイラーという番組で、父の勤めていた会社の創業者の方を取り上げて、その生い立ちや足跡について紹介していました。
その方は、幼くして父親を亡くされていて、機械いじりが好きで小さいころから家や親戚の家にある時計や機会を分解しては、その構造を調べて「壊し屋大ちゃん」と呼ばれていたとか。そして89歳で亡くなられていた。というのを知りました。
うちの父の生い立ちに似ていて、実際その会社に勤めていたときは創業者の方とも接していたようですし、“自分の父親のように思っていたかもしれないし、自分を投影してみていたかもしれない”とも感じました。
そう思うと89歳で亡くなったということも、ああ、もしかして・・・・と受け入れることができた気がします。
人によっては、89歳だったというと「長生きでしたね」と、まるで「死んでもいい年齢だ」というような言い方をする人もいます。
ですが、家族や身内にとっては、年齢が若くても、歳をとっていてもそれは関係のないことです。
- 寿命という言葉
- 運命という言葉
で簡単に言い表せるものではありませんし、どんな亡くなり方であってもすぐに納得できるものでありません。
ですが、その悲しみが少しずつ癒えてきた時、少し前を向くことがてきた時、その死を受け入れることができるようになるには、「その出来事の意味づけを考える」ことです。
それは、その人のことを忘れることではありません。
それは、悲しみ、涙する時間を減らし、人生の再生をするプロセスです。
一つ一つの何かしらのプロセスは、区切りとなる出来事となります。
そうしたプロセスを通して、あなた自身の回復力、本来持っているレジリエンスを高めることにつながるのです。
それは一月であったり、三月であったり、一年だったり、三年だったりするかもしれません。そうした中で、私たちはその死の悲しみを手放すことができるのだと思います。