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過去に縛られていた自分は、不要な物を手放すことから再生する

5月の前半から、絶賛あらゆるものの片付けモードに入っています。今回処分しているのは、

主に、自分の押入れにあるもの

  • 書籍
  • 仮の本棚として使っていた段ボール
  • 木箱
    (その中に何が入っていた、古い旅行に行った時の写真やネガ、ポジフィルム、工具類やリボン)
  • 使わなくなった
  • 一眼レフカメラ(もう30年くらい前のEOS)
  • デジタルカメラ
  • 料理関係の書籍や雑誌、書籍からコピーしていたたくさんの資料
  • 父の衣類や所有していたモノ、お薬手帳や介護中の記録

などなど。

あらためて、実家を見直して、今後必要ないだろうという物をこの際だからと処分、片付けをしています。母が亡くなったあと、2016年に自分の身の回りの料理道具や古いデスクトップPC,置物などを処分して以来の大掛かりな片付けです。

きっかけは、いくつかありますが、自分の本が溢れかえってきたことにモヤモヤし始めたのと、今年は自分にとって転換期であることを自覚しているところがあり、前に進むのに身動きが取りやすくいたい、身軽でいたいという気持ちがどこかにあることが、さらに「不要な物を一掃したい」という気持ちを引き起こしました。

あらためて、見回してみると

もう使わないだろうと思う物
これから先の未来には使わないだろうと思う物


って結構あるものです。それらを見回していくと、片付けたいという意識が湧いてきたのです。不要なものがなくなって、すっきりしたその先はどうなるんだろう?という期待感しかありません。

現代に生きる私たちは、多くのものに囲まれがちになりますが、その中には、自分自身の変化と共に必要無くなったものもあったりします。そして、それが、未来に向かう時には足枷になったりするのです。

それはなぜか、私自身のこれまでの「片付け人生」からの体験と共にその理由をお伝えします。

目次

物が、あなたを過去に引き止める理由

物を整理することは、思考を整理すること

私自身、思い返せばこれまでも、多くのものを所有してきました。その中には、これまである時を境に、全取っ替えのように処分してきました。

  • 小学生の頃から読み始めた漫画
  • 夢中になって読んだ小説や本
  • マックDTPを習得中は、一冊3000前後は当たり前のノウハウブック
  • フラワーアレンジメントを習っていた6年の間には、フラワー関連やインテリアの雑誌やムック本
  • マクロビオティックや料理関連のことをしていた時には、料理道具や料理本、これはと思う本を図書館で見つけては借りて、同時に施設にあるコピー機でコピーしていました。
  • 料理講習会中に購入した食器も、家では使わないものは処分したり
  • カメラに夢中になっいたときは、現像した写真やフィルムが今よりももっとありました。

実家での自分の部屋が四畳半だというのもありますが、基本的にものがごちゃごちゃとしているのが、ダメな気質なのです。職場でも、常に自分のデスクの上は上にある本棚のファイル以外は何もない状態であるようにしていました。朝出社すると隣の人が残業で作業した書類やらファイルが置かれてて、本人のデスクに戻す、ということもありました。

  • ごちゃごちゃな資材倉庫を整理したり
  • サンプル置き場や在庫置き場の整理
  • 最後の片付けや整理
  • 不用品を整理してフリーマーケット
  • 母の遺品整理

など、私の人生にはこれまでも、ものの片付けや整理 といったことがついて回っていました。それは、自分自身がすっきりとした空間が好ましく感じられ、思考もクリアーになり、動きやすく、いられるから。つまり、物がない方が安心できるからで、これは、私の九星気学の生まれ星・六白金星の気質からもきています。

人は周りにあるものに対して、視覚が常に働き、注意がそこにはたらき、脳が常に働いている状態を作りだして、本来ならば創造性や作業をすることに働くべきエネルギーを損なうことにもなります。

周りに物が多くある状態というのは、まるで暗い森の中でどんな獣や危険が襲ってくるのかわからない状態と同じで、あっちにもこっちにも気が向いて、落ち着かない状態を作り出すのです。

つまり、たくさんのものに溢れた環境を片付けて整理することは、私たちが、本来取り組むべきことに対して意識を向け集中するときに、必要なことに脳や五感の感覚のコンディションを整えることでもあります。

物には、その人の体験の記憶が宿る

自分の周りにあるものというのは、それまでの自分の体験してきた記録でもありますし、同時に、過去の出来事の記憶とその時の感情の記憶がリンクして呼び起こされる、記憶の媒体でもあります。心理学的には物がアンカー(碇)となって、その時の自分に引き戻されたり、過去の状態に繋ぎ止められるのです。

媒体とは : 
仲立ちするもの、媒介するもの、情報伝達の媒介手段、・メモリーや磁気ディスクなど情報を記憶をするもの

もちろん、はっきりとした物ではないかもしれませんが、

モヤモヤとした感覚
きゅっと心がする感覚
停滞感を感じる

などの程度かもしれません。

しかし、物と連動した、過去の体験記憶、感情の記憶は、今のあなたに、少なくとも無意識的には過去へ呼び戻されているのです。

私たちは、そうした過去の体験:インパクトのあること、繰り返し起きた出来事、ほど無意識的に記憶に止め、それをプログラム化(つまりパターン化)しています。そのとき、特に五感の要素が、トリガー(引き金)となって記憶を呼び起こされることは、心理学的には広く知られていることです。

私たちは、自分が思っている以上に、周りにあるモノや環境に影響を受けているのは、そうした心理的な作用に働きかけるからです。

そして、心理的な作用は、感情面であったり、決断や選択、そして行動面においても影響することを意味します。

そうした心理作用を知った今では、もういらないなぁと思う物以外にも、

  • あれ?なんか引っかかるなぁ
  • あれ?なんだかモヤるなぁ
  • あっ、これ過去に引っ張られてるな

というものは、処分しています。

「物が捨てられない、処分できない」という時に起きること

私自身は、冒頭で述べてきたように、これまでも自分にとって「いらないなぁ」というものは、手放してきました。

  • 捨てたり
  • 回収する団体に持って行ったり

時には、フリーマーケットで売ったりもして、いいお小遣い稼ぎにもなりました(今のように100円ショップやユニクロのない時代で、大きな公園や広場で主催しているフリーマーケットで、メルカリとも違います)。多分これまでもそうした体験があるから、躊躇なく物を片付けたり、処分することができるのだと思います。

一方で、

  • 物で溢れているけれど
  • 物を手放せない
  • 物を片付けられない

という方もいますよね。年配の方ほど、物が溢れた家に住んでいるをTVなどで時々見かけますが、体力的にも片付けるのが大変、何かを捨てたりの判断力の低下、まだ使えるからと思ってしまう【もったいない思考】があると、物が家で溢れかえります。

しかし、年齢も比較的若く、体力もある人でも、ものに溢れている人もいます。

そうした人は、大抵、いつも何かに迷っているし、生きている中での不満を常に感じています。周りにあるものがあることで不要な情報を取り込んでしまうが故に、事実とは違う過剰に不安を抱えたり危険を感じたりして、迷いや不安を抱えやすく、決断が遅く、行動も遅い

あなたが普段いる空間に物が多いだけでも、情報過多な状態となるのです。そして、物で溢れている環境では、そうした物からの情報に対しても常に脳が反応して、決断疲れ選択疲れを起こしてしまいます。

物で溢れているが故に、行動することへの物質的な妨げにもなっているかもしれません。(ぶつかったり、物で塞がれていたり)

【変わりたい時には、環境を変えること】と言われていますが、引っ越す、うんぬんの前に、まずは、あなたの普段生活している場所のモノを減らし、片付けることです。

  • 今の自分にとって、それが必要な物なのか
  • 未来の自分の居たい場所に、それを持っていきたのか

をイメージしていくと、スムーズに物への執着が消え、処分することができます。

物が多く、処分できない・捨てられないというのは、損をしたくない、手放してまた使うかもしれないから失敗したくない、という心理が働いていることからきているかもしれません。物があることで安心する当人もいますが、ほとんどのものは使いもせず、ただあるだけの存在になってしまっていることがほとんどです。

モノは、その物として使われることがなければ、存在価値がありません。(大切にとっておくことが、物を大事にすることだ。と考えている人が多いですが、モノはそのものとして使ってこそ、活きるのです)

【物が片付く、処分できる】というのは、

  • 自分にとって価値あるものは何か
  • 自分にとって将来いらないものは何か

という線引きができるということでもあります。

わたしたちは、自分が行動する上での、なにかを選ぶ際の基準は、すべてこの「価値あるものかどうか」「大切なものかどうか」が人が選択する上での、最重要ポイントとなっています。

価値は成長と共に、常に変化します。

あなたが今いる環境が、物で溢れかえっている

というのなら、古い価値、今必要のなくなった価値のなかにいて、自分自身の成長も、人生における変化も起きていないことを知るべきです。それは、流れのない水辺にボウフラがわき、腐るのと同じことで、沢山のものに囲まれているあなたは、自分自身が腐りかけていることにも気づいていないのです。

(もちろん趣味や好きなもの、特定の何かに対して推し活しているなどで物が増えることは、意識的にそれを選んでいるので一向に構いませんし、日々の生活を自分から選び充実させているからです)私自身、今、家のものを片付けようと思うのは、父が亡くなったことの気持ちの整理ができてきたという一面があるのだと思います。

なにか心に引っかかっている時というのは、迷ってものの片付けができないものです。だから、無理に自分を変えようと、ものを片付けることを勧めているのではありません。ですが、何か前に進めない、自分に変化を起こしたいと思うのなら、あなたの周りにある物に意識を向けてみることはとても大切です。

モノと向き合うことは、ある意味自分自身と向き合うことになる。それはとてもエネルギーの要ることです。

引き続き処分しようと思う物

多分しばらくは、仕事の準備と共に片付けモードに入っていると思います。

全てを完璧に、家の中をすっからかんにすることは、時間もかかることなので一気には、物理的にも時間的にも無理であることはわかっています。今回だけでは決断できないもの、処分を見送るものもあるし、それでも、この際なので極限までものを片付けていくつもりです。

  • 父のもの、母のもの
    (衣類や道具など)
  • 母が存命中に使っていた食器類
  • 自分がいいと思って購入した漆器
  • 以前はよく使っていた、ミシン
  • 古い写真、
  • 衣類を入れていた衣裳ケース、
  • 自分の着ていたきていない表服
  • セッションやセミナーを作り込んだ時のプランシート
  • など、

できるだけ片付け、不要なものは処分していくつもりです。

改めて、人は生きていると、本当に、物を抱え込みやすいのだなぁと感じます。それは、人がそれまで生きてきた証でもありますが、未来を今よりも充実させたいとき、未来志向で考えようとおもうとき、モノはそれだけで過去へとあなたの思考や意識を引き戻す作用もあるのだと知っておくことです。

ミニマリストのように、最小限のものだけで全て処分すべきとだとはいいません。しかし、今抱えているもののなかで、何を残すのか、なにを捨てるのかを、自分の価値観や感じ方を通して選別する、実際に処分することは、自分自身を深く知るきっかけにもなります。

そして、

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