以前、メールアドレスを登録していただいた方に配信していた『五感力を鍛えて自分を知るメールレッスン』の内容を加筆修正して、サイトと音声配信Stand fmで公開しています。


五感の感覚
誰もが、ほぼ生まれながらに持ち合わせているであろうこの身体能力を、私たちは意識しなくても「使おう!」と思わなくても使って生きています。五感の感覚から、私たち人間が外側にあるさまざまなモノ、コト、に対する情報を瞬時に取り入れ、その情報をもとに、どう反応するかを決め、その反応として感情、思考、行動を起こして対処していきます。
これって、結構重要なことで、物事に対しての自分の反応や感情、物事にたいしての決定に、五感から取り込んだ情報が関係しているからです。もちろんそれに、心理的なプログラムや過去の体験による記憶も合わさってのことですが、どのような選択するのかの要素として五感からの情報が人生を左右すると言えるのです。
そして、自分が、見るもの、聞くもの、触れるもの、匂い、食べるもの、という五感の情報は、私たちの周りのものから、どのような感覚を取り入れるのかは、大人になった今では、自分で選ぶことができるものです。
ならば、今一度、あなたが普段どのような、感覚を受け取っているのか、受け取った感覚から自分がどう変化しているのか、を感じ取ことに意識を向けてみることは、あなたのこれからの人生の質にもつながります。
五感の感覚によって、人生の満たされ度が変わる理由
人に備わっているセンサー・五感がなぜ重要か?
五感は私たちが生まれながらに備わっている、自分の外側のモノ、コトを判断するセンサーです。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚という5つの感覚は、すでに赤ん坊の頃から少しずつ育まれ備わっていきます。
そうした五感から得た情報を通して、私たちは周りにあるもの、出来事を判断しています。五感で感じた感覚が、神経を通り、脳に伝わり、その反応として感情を引き起こしたり(「危険だ/安心だ」、「嫌いだ/好きだ」、不快だ/快適だ」)を感じ取り、その感情を元に身体に伝わり反応として何らかの行動を起こしたり、思考を働かせています。
心理学や自己啓発では、
- 行動があるから、感情が発生する
- 感情があるから、何らかの行動をする
などの相反する考え方がありますが、私たちは生まれた時から、何らかの行動をしているし、何らかの感情を引き起こして絶えず循環しながら、そのことに対しての行動や思考を膨らませています。
五感の感覚を受け取るには、その前に何らかの見る、聞く、触れる、嗅ぐ、食べる、などの行動があり、そして、何らかの感情を沸き起こらせつつ、それに対して反応(行動)をしています。しかし、五感を通した情報は膨大なため、全てを意識の上に乗せることはしていませんし、普段私たちが行っていることのほとんどは無意識的です。
私たちの脳は、慣れたこと、自分が関心がないこと、自分が本当だと感じないこと、自分が信じていないこと、といった情報はスルーしてしまう脳の機能・RAS(網様体賦活系)があります。五感は本当は沢山の情報をキャッチしているにも関わらず、沢山の情報の中には、深い森を抜ける方法もあるのにそれに気づいていないのです。
繰り返し体験した中で、
- 「この時は、こういう反応をしたら効率的だ」
- 「この時は、なにも反応しなければ無事に過ごせる」
- 「このことは、こういう意味を持っているのだ」
という学習をすることで、五感の感覚で受け取った情報に対して「どう反応したらいいか」を、赤ん坊の頃から学習し、その体験を通して思考や感情という出し方を決めています。
人によって過去に体験したことは違うため、同じ五感情報を受け取ったとしても捉え方は変わります。
同じ映画を見たとしても、Aさんは「あの部分は感動的だった」と思っても、Bさんは「あの部分は感傷的すぎだ」と思うように、その人が体験した印象は、人それぞれで違う。それは【良い/悪い】ではありません。どう捉えたのかの違いだけです。
ですが、時にその捉え方が、あなたの生き方を狭め、行き詰まらせてしまうことさえあります。
例えば、目的の場所に行くために道を歩いていたとき、目の前で偶然交通事故が起きてそれを目の当たりにした時、どきどきとした心臓の鼓動と恐怖心が湧き起こり、冷や汗をかく。そこから一歩も前に進めず、立ち尽くしてしまう。その後、何度も、その目的のことに取り組もうとしても、無意識的に避けてしまう。同じ場所に立つとフラッシュバックが起きて恐怖心が蘇ってしまう。
これは、以前見た2023年のTBSドラマ『石子と羽男-そんなコトで訴えます?-』で有村架純さん演じる石子が司法試験を初めて受ける時に遭遇した事故、そしてその後4回も司法試験にチャレンジするも失敗する出来事があったことを映し出されたシーンです。
その時の体験の記憶と感情の記憶は結びつき、その体験記憶の要素としての五感の感覚がとても重要なことは、実際に心理的な症状PTSD(心的外傷後ストレス障害)として知られています。
PTSDの症状として:
記憶が蘇る(フラッシュバック、悪夢など)
恐怖を呼び起こす場所状況を避ける
否定的な感情や認知(自分を責めたり、無力感を感じる など)
などがある
私たちは、強い恐怖体験ではなくても常に五感の感覚から情報を受け取りながら、感情や思考、そして身体的な反応をしています。それも気づかないうちに自動的にです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/石子と羽男-そんなコトで訴えます%3F-
五感を、外側のものに向けてばかりいることで自分を見失う
五感の感覚を意識する
といっても、外側のもの、外側の出来事に対して常に意識を向け、「あれやこれやと、外のことに敏感になれ!」というのではありません。外側にばかり五感の感覚を向けていると、自分を見失うことになり、本来得られるはずの快適さから遠のくばかりです。
10年前に無くなった母は、繊細といえば聞こえがいいですが、外側の出来事にばかりに五感を使い、自分の不快感にばかりに意識を向けていました。
- あの音は、ご近所の息子さんが帰ってきた音だとか
- お隣のオール電化のエアコンの作動音にやたら文句を言い
- 自分の夫が、自宅の近くで掃除をして倒れないかと文句を言い
- 風呂場の椅子と洗面器の置く位置が違うと不満を漏らし
など、自分以外の外側の出来事に対して五感を常に働かせ、不快感のことにばかりに五感の感覚を向けていました。
その一方で、「自分がこうしたい」ということには、自分を喜ばせたりすることには、一円を惜しんだり、自分を常に張り詰めさせていることに気がついていませんでした。
もちろん、大病を患い毎月のように経過観察のため病院に通い、腰を痛めては整形外科に通い、医療費にお金がかかっていたということを引け目に感じていたところや、年齢的に戦後の大変な時期に田舎に仕送りをし続けていたという、心理的な背景があったとしても、日々の中での些細な喜びや心地よさを取り入れていくことは、母の人生の中で必要なことで、それがあれば、自分自身ももっと満たされ、あるいは常に感じていた腰の痛みも解消され、周りの家族にとっても不満感や不快感を受け取らずに済んだと思います。
- あ〜美味しそうだなと思った、ゼリーを一人で食べても良かったんです。
- あ〜くたびれたなと思ったら、街のカフェで一人お茶を飲んでも良かったんです。
- あ〜なかなか眠れないなと思ったら、空いている2階の部屋で休んでも良かったのです。
自分自身が、どのような感覚であれば快適なのかそこに意識を向けることは、それまでの当たり前を変えることにもなりますが、私たちは誰かが、何かが変えてくれることを期待して、物事を自分にとってのいい状態を、自分から変えていこうという行動を起こそうとはしません。
けれどそれは、待っていても起こることはないし、なにか変化が起きたとしても、他者の感覚からのものであって自分にとってのベストではありません。
あなたが何かに対して不快な感覚があるとしたら、それを自分のこととして、望ましい状態にするようにあなた自身の五感の感覚をあなたのできることで、快適にしてみてください。
あなたを快適にできるのは、あなただけなのです。
- 「自分にできることは何もない」としたら、自分は可哀想な存在だと自己憐憫
- 「私がこうなったのは、他の人が自分を不快にしたからだ」と責任転嫁
- 「他者がもっとこうしてくれたら、自分はこうなれるのに」と依存心
という、他者にばかりに意識を向けていると、自分で自分の人生をコントロールできるという、本来持っている能力に気付かないまま、「可哀想な自分」「自分の人生の放棄」「何もできない自分」といいう状況を自ら選択することになります。
そして益々、何らかのネガティヴ感情に囚われ、TVを見ることでしか楽しみがないような、人生の充実感までも自分以外のものに依存するような自分で人生を充実させることができない、生き方を選択するようになってしまう。「自分がこれをすると楽しい」ということの選択を広げることができないままの人生となってしまいます。
それは、つまらないと思いませんか?
自分で自分の人生をコントロールする第一歩が、あなたの受け取っている五感の感覚からの情報を、自らの意思で選択することです。
それは、なにも難しいことではありません。
あなたが普段、自動的に受け取っている五感の感覚を、自らの意思で選択して、自分にとっていらないもの、好ましくない感覚になるもの、自分にとって必要なもの、心地よい感覚になれるもの、をきちんと自分自身の判断で選択することです。
私自身、2025年の4月5月くらいから、実家と自分のものの断捨離を始めたのも、いらないものを片付けて身軽になりたい、本当に必要なものだけにしたい、という思いが高じてです。ものを捨てると空間が広くなり、視覚的な感覚以外にも身体感覚で受け取る波動が変わったのを実感します。

五感の感覚で何を受け取っているのかは、無意識的
DNA研究の第一人者であるブルースリプトン博士によると、人の日々の行動の95%は、無意識的なモノで意識的な言動はほんの一部であることを発表しました。つまりこれは、人が受け取っている情報(五感からの情報)もほとんどが同じモノであり、人生のほとんどを自動操縦で(無意識的に)行っていることを今します。
これは、何も変化しない人生を過ごしていることにほかなりません。
不満や不快があったとしても、そのままで過ごしている。
- やれ暑い
- やれめんどだ
- やれ疲れている
など不満を持ちながら、それを解決する方法があってもそれすらに気付かないまま生きている。
それは、あなた自身が受け取っている、五感の感覚に対して無頓着で、無自覚だからです。
そして、不満や不快を感じながらも、「それは変えられない」としてしまう。
自分の感じていることに無頓着だと、「自分がこうしたい」ということにも無頓着です。
自分の心の奥底から湧き上がってくる、「こう感じる」には「快/不快」、「好き/嫌い」、「逃げる/戦う」などの根源的な欲が存在します。この根源的な欲は、五感の感覚から発生します。よく考えれば、「なるほど!」と思うはずです。
- TVの画面で急にゾンビが出てきたら、怖くて番組を変えてしまうことがある
- 可愛い自分の好きな犬が歩いていたら、心地よく感じて、歩み寄って撫でてしまう
- 自分の好みの異性がいたら、ドキドキしてまじまじと見てしまう
など全ては、五感の感覚からの情報、そして沸き起こってくる感情、そして行動が結びついています。
そしてこの五感の感覚は、身体的な感覚ですが、無意識とも繋がっています。普段はなかなか気付きませんが、無意識化でどのように感じているのか、どのような意識を抱いているのかは、脳とも繋がっていてそれを反応としてプログラム化(パターン化)しています。五感の感覚が記憶の要素として蓄積されています。
五感の感覚は、【快/不快】、【好き/嫌い】、【安心/危険】という、人の基本的な判断の元となるもで、そこから感情が発生します。
- 不快で、危険なものは、→怖い
- 快で、好きなものは、→楽しい、嬉しい
などが沸くのは、どなたでも思い当たると思います。つまりこのことは、五感(=身体感覚)が、感情と結びついているといえます。
未来感覚で生きるのか、過去の体験を引きずって生きるのか
ここまでお伝えしてきた通り、五感の感覚は私たちの感情や思考、行動を発生させる元となっています。
同じ様な出来事が起きた時、過去で体験した出来事を参照して、常に同じ様なパターンを繰り返そうとします。ついつい過去と同じ様な状態でいようとします。その方が脳はエネルギーを最小限に抑えられるからです。
それは、過去の体験を使って、うまく効率的に、なにかを処理する作業的なことにはとても効果的ですが、創造性を発揮したり、何か問題が生じた時には、立ち行かなくなってしまいます。なぜなら、創造性を発揮するのは、「これまでと違う何かを生み出すこと」だから。問題が生じたのは、「これまでのやり方考え方では通用しなくなった」からです。
けれど私たち人は、小さな時にできた、制限的なビリーフ(思い込み)とう過去の自分のプログラムで生きようとします。そのため、物事を限定的にとらえたり、うまくいかない自分に悩んだり、自分にダメ出ししたり、自己卑下に陥ったりします。

しかし一方で、私たちは新しいこともすることができるし、新しい体験によって物理的に脳の神経回路の結びつきは変化します。(脳の神経可塑性といいます)
未来を自分の本来の姿で生きたいと願う時、過去の中でできた制限的なビリーフを外すこと。それにはある特定のプロセス介入が必要ですが、なによりも必要なのが、今より少し先の未来を、「どうしたいのか」「どんな自分で痛いのか」という感情体験と状態体験の意図であり、ビジュアライゼーション(視覚化)であり、五感の感覚すべてで行うイメージです。イメージというと、視覚的な映像を思い浮かべる方もいますが、聴覚、触覚、嗅覚、味覚においても、イメージを働かせることです。
今、時代が大きく変化する中で、現実化のスピードも早くなっているといいます。その時必要なのは、あなた自身がどの様な五感の感覚を選択するのかです。
どのような感情でいたいのか、【心地よい感覚か/不快な感覚か】を元にして、生きている本来の人としての自分の感覚で生きることです。
その時にとても重要な要素が、五感の感覚なのです。

