あなたは、自分が「こうしたい!」という気持ちを持って、何かを選んだり、行動したりしていますか?
これまでの世界では、
- 自分は、こう思う
- 自分は、これがいい
- 自分は、こうしたい
- 自分は、これはしない
というと、自己主張として捉えられ、「わがままだ」と言われたりしてきました。「自己主張が強く自己愛が強い人」として捉えられ、集団の中では否定されがちでした。
他の人に合わせること
人と同じ考え方や行動をすること
それが協調性がある人として、尊ばれてきました。
それは、社会の中で集団就職の時代、高度成長期においては、皆が【同じ方向】で【同じこと】を【同じ熱量で】行うことは、物をたくさん作ったりそれを大量に販売する時代、工場のオートメーションの時代においては、必要なことではありました。しかし、そんな時代であっても、これからの時代は特に、本当は「こうしたい」ということがない人ほど、他の人にとっては扱いにくく、嫌われたり、人生がうまくいかない状況に陥ります。
そうしたことは、社会の動きからもみて取れます。西洋占星術においても今年2026年、牡羊座にふたつの天体が移動して、社会的な大きな変化が促されています。
日本で広く取り入れられている十干(じっかん)(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)、十二支(子年、うし年、とら年、うさぎ年、たつ年、へび年、うま年、ひつじ年、さる年、とり年、いぬ年、いのしし年)では、2026年の今年は60年に一度巡ってくる丙午の年で、丙は火を意味することから情熱やエネルギーを表します。それに馬の躍動性、力強さ、行動力、スピード感、などを表すことから、このふたつの意味が重なることで、新しい挑戦、積極性など、とても主張の強いエネルギー感が漂います。
九星気学においては、この丙午の年齢の人は【七赤金星】という、赤い溶けた鉄、という気を持っています。高温の1538度で液体のように流れ、赤〜黄色〜白に色を変えて鋳造、製鉄されることで、鉄として変化していきます。ここでもスピードや速さ、熱、火、赤、などの情熱性や行動を表すエネルギーが見て取れます。
つまり今年は、西洋占星術、十干十二支、九星気学という天体や宇宙や自然の気の視点、全てが、大きくうごめく、主張の強い傾向を持った年といえます。こうした宇宙のエネルギーは、特に「こうしたい」「これがいい」ということが大切なことを伝えていますが、それ以前からも実は、「こうしたい」を主張できない人ほど、人生がうまくいかなかったり、緊密な人間関係の中では逆に嫌われたり、扱いにくい人である一面を持っています。
えっ?、主張が強い人は嫌われるんじゃないの?。
自分を押さえて、「自分なんか」と謙遜している方が人との関係はうまくいくんじゃないの?
いいえ、「こうしたい」がある人がうまくいくのは、社会的な天体の動きの影響だけではありません。心理学的な側面からも、「こうしたい」がない人は、かえって周りとの不調和を起こしたり、その人自身の人生においてもいい影響を及ぼさないのです。逆に「自分はこうしたい」がはっきりしている人ほど周りの人はそれを受け入れて、好意さえもたれるモノです。
ここで言う【欲】とは、他人を押しのける強欲さではなく、あなたがあなたらしく生きるための『こうしたい』という生命エネルギーのことです。
その理由をこれからお伝えしていきます。
「こうしたい」があなたの人生をより良くする理由
なぜ「欲」を我慢する人ほど、まわりから嫌われるのか?
自分がこうしたい=わがままではない理由 それは、
- 自自分は、こう思う
- 自分は、これがいい
- 自分は、こうしたい
- 自分は、これはしない
ということが自分の中で表現できないと、身近な人間関係の中で、何か問題や課題が浮き彫りになった時に、「自分はこう思う」、「こうした方がいいのかも」という、自分で考えたり調べたりという思考が育たなくなります。
そして解決方法やプロセスを他者に任せてしまいがちで、いざ周りの人が行ってきた、何か解決法や糸口になるプロセスが思うようなものにならなかった時、後々になって、
「そんなはずじゃなかった」
「そうすると言ったのは、お前だろう」
と責任転嫁する発言を、何の躊躇いもなく言い始めます。
私たちは、自分に関わりのあること、自分が関わらなければならないことに対して、自分ゴトとして「どうしたらいいか」を考えるようにならなければ、「物事に対して考える」という能力が育ちません。もちろん、世界中には問題や課題は山積していますが、「自分がこうしたい」、ということを発することがない人ほど、身近な自分の手に負える範囲のことであっても「こうしたい」「これがいい」「これはしない」という主張をしません。
そもそも、考える脳の回路ができていなければ、自分の周りの違和感や問題に対して気づきさえ起きません。
また、自分の周りの人が自由に何かを行なっていると(好きなものを買ったり、好きなことを行ったり、表現していると)、「そんなものじゃない」と自分と同じように我慢をさせようとします。
人はそれぞれ自分のできる範囲で望むような行動をするのは、ごく自然なことですが、こうしたい【欲】を我慢している人間は、自由にしている人に対して自分ではわからないうちに嫉妬して批判的になります。そして、必要もないところで、他者の行動に対してあれこれと口出しをしてきます。
「もっとこうしたほうがいい」
「なぜこうしないのか」
などと・・・・。
自分自身の本心にフォーカスできず、他者の【欲】=行っていることに対して意識を向けることで、自分の【欲】を満たそうとしているともいえます。それは、自分の持つ【欲】を否定してるがゆえです。

マズローの欲求5段階と脳科学で紐解く「こうしたい」が必要な理由
「自分はこうしたい」
「自分はこうありたい」
それらは、勢いだけの激しい自己主張ではなく、生きていく上で必要な欲です。私たちは生まれ落ちた時から、【欲】というものを持って生まれてきます。根源的な生きる力といってもいいものです。
マズローの欲求五段解説
アブラハム・ハロルド・マズロー(1908~1970)は、人の欲求には五つの段階があることを提唱したことで知られていますが、同時に人が物事を学習していくには五つの段階がある学習の5段階レベルについても学説を掲げていました。「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」という仮定のもとに、アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローが提唱したこの法則は、人間の心理には5つの段階的な「欲求」があり、下から順に一つの欲求を満たすごとに、次の段階の欲求を満たそうとするとしています。
第一の欲求:生理的欲求
食欲、排泄欲、睡眠欲、衣服、など生命維持に必要な、生きていくために基本となる欲求のこと。食べる/飲む/排泄する/眠る/着る(外界からの身を守る)繁殖
第二の欲求:安定安全の欲求
命が脅かされるような危険な状態をさけ、安心していられる状況や状態を望む欲求です。健康を損なう病気やウィルスの蔓延、精神的な不安や恐れ、虐待や暴力、紛争、生活の困窮などは、不安定な状態でとてもストレスフルです。そうした状態を避けたいと望む行動は、生物的に備わっているものです。身体的な安定(健康状態)/情緒の安定(精神的)/命の危険からの安全/経済的な安定
第三の欲求:社会的欲求
生理的欲求、安定安全の欲求が満たされると、その上位にある社会的欲求を満たしたいと願います。私たちは一人で生きているわけではなく、家族や社会の中で何らかの集団の中で受け入れられている、その中の一員であると感じると安心します。逆にそうした関係性の中に自分が居る実感できないと、孤独感や不安感を感じたり自分自身の存在を重要だと感じれないと思うようになったりします。家族、親戚、友人/習い事や趣味、スクールのコミュニティー/スポーツのチーム/特定の組織、団体/会社や仕事の仲間/地域、町内、近所づきあいなどの中の一人としている。
第四の欲求:承認・尊厳欲求
私たちは、自分自身が尊い存在である、自分自身の存在を認められたい、という承認欲求を持っています。その承認欲求は、他者から認められたい(他者承認)と、自分で自分を認めたい(自己承認)があり、スキルや能力、地位、名声、身分立場などを通して、それを得たいと実感するようになります。地位/名誉/権威/ブランド化/自信/自尊/スキルや能力/知識・情報収集
第五の欲求:自己実現の欲求
ここまでの四つの欲求が満たされて初めて実現できるもので、単なる理想の実現、目標達成とは違います。自分自身の存在する意味、生まれ持った本来の能力や気質を持っていることを認識して、それまでの経験や知恵を自然に活用することができ、何に対しても自分らしい選択や振る舞いができる生き方をすること。使命/生き方の選択/生まれ持った気質/セルフイメージ



人が持つ欲求は、生命維持や学習、記憶や情報処理をする高次機能を司る脳の構造ともリンクしています。
脳幹:呼吸、体温調節、心拍コントロール、食欲、睡眠、排泄、表情筋のコントロール、眼球の動き、姿勢のコントロール
大脳基底核:情報の出力・入力、過去の記憶を参照し運動(動く/止まる)コントロール、学習意欲と動機づけ、快不快の情動コントロール
が満たされていることで、
大脳新皮質:思考、判断、計画、感情コントロール、運動コントロール、触覚温度などの感覚情報の処理、聴覚情報の処理、視覚情報の処理など知性や思考、判断、計画、感情コントロール、運動コントロール、アイデアや創造性の発揮
が機能するのです。
自分の【欲】を表現せずにうちに溜め込んだままでいることは、常に何らかの不満を持っている状態となり、自分以外の他者が自分の望むように【動かない/反応しない】ことに受け入れることができずに、何かのきっかけで【欲】を爆発させます。
生きていく上での【欲】を過剰に我慢している状態は、脳にとって負荷がかかりストレスとなることで、本来ならば、冷静な判断や自制ができることができなくなることで、【欲】のコントロールができなくなるのです。
- 本当は欲しくもない、必要でもないものを買ってしまう。
- 大金を払って、ハイブランドのファッションを購入
- 内容を精査する前に、高額起業セミナーに大金を払ったり
- 些細な不備を気にして、それをどうにかしないと冷静な判断ができない
- 満たされない状態が不満を生み、他者に対して怒りを爆発させる
など、欲求や願望を、安易なウソの欲求を基にして行動してしまう。そして、本心からの【欲】とずれている本当に望んでいることではないため、いくらお金を使っても満たされない満足できないのです。

「清貧思考」のワナ!あなたの我慢が不満の波動を引き寄せている
- 正しい欲を正しく使うことで、それに相応しい豊かさがとどく
- 日々のささやかな欲をガマンすれば、大きな豊かさが手に入る
- 清貧であるからこそ、未来には素晴らしいものがやってくる
- 欲を我慢している自分は偉い!。だからこの先の私は、いいことしかない。
そう思っていませんか?
実は、それ勘違いです。
なぜなら、宇宙の法則としての豊かさは、同じ波動のものどうしが共鳴し「引き寄せられる」ものだからです。水に浮かんだ油をかき混ぜると、一旦は離れてバラバラになりますが、渦が止まるにつれてまた一つの塊として集まります。
「類は友を呼ぶ」という言葉がありますが、趣味や思考、性格に共通点のある人同士は、自然と引き寄せあって集まるという意味を持っています。これは人間関係の様子を表した言葉のようでいて、それだけではありません。よく言われるのが、「お金はない」と思っていることで「ますますお金がない現実を引き起こす」といわれますが、これは宇宙の法則やスピリチュアル、成功哲学において、「波長の法則」「引き寄せの法則」と同じ意味をもっています。
私たち人間もモノも、この世にあるものには固有の「波長(周波数)」が存在します。そして【波動】は、モノが持つ波長がどのように動くのか伝わる現象のことです。
- モノを叩くと特定の音(波長)が鳴るように
- 風がふくと、枝が揺れ、葉がこすれて音がするように
- 指を動かすと、筋肉や神経から脳に伝わるように
私たち自身の感覚や周りにあるものや自然現象にも「波長」と「波動」が存在します。
「類は友を呼ぶ」という意味は、同じ波長・波動を持つ者同士は共鳴し自然と引き寄せられるという、人間関係を表す言葉であると同時に、「同じ周波数(波長、波動)やエネルギーをもつものは人であれ、ものであれ自然とひきよせられていく」という宇宙の根本的な原則を表しています。
このことを知らずに【欲】を出すことをためらい避けていると、あなたの内面(思考、感情、信じていること)が、そのまま現実の世界(人間関係や仕事、お金の豊かさ、物事の状況)に投影されるのです。
- 楽しさや嬉しさを持てば、その人の波動は明るくなり、それに呼応した明るい出来事が起きてきます。
- 怒りや不満を溜めていれば、その人の波動は粗く暗くなり、ますます怒りや不満を抱くような現実になる
「類は友を呼ぶ」の類語として、「同類相求む」「蛇の道は蛇」という言葉があるようにつまり、良いことも悪いことも、豊かさも貧しさも内面の状態によって引き起こされているのです。
極端な我慢や欲をだすことは良くないとして、清貧思考がすばらしいと我慢ばかりしていると、金銭的な面ばかりか人生全体が行き詰まり、不満ばかりの人生になってしまうことにもなりかねません。「こうしたい」という気持ちを大切にしないことは、あなた自身を大切にしないことと同じで、それはますます人生を狭い範囲で捉え可能性を狭めてしまう、どんどんつまらない人生してしまうことにさえなります。
あなたが、欲を我慢しているその奥にある、本当に望んでいることは何ですか?。


適切な【欲】と間違った【欲】の違いとは?
【欲】をもつことは、なにも、「欲しいもの全てを買えばいい」「高い値段のものをかえばいい」「ハイブランドのバッグや洋服をバンバンかえばいい」ということではありません。
【欲】を抑えてしまう人は、日々のささやかな欲さえも我慢してしまうものです。
それが、大きな豊かさを手にいれる方法だと勘違いしてしまう。もちろん、今のように物価高な状況になると、野菜ひとつ、果物ひとつ買うことにも、躊躇いが生じたりしますよね?。
事実、この数年の物価高で果物の消費が落ち込んでいるというニュースも漏れ聞きます。しかし、タイミングが合うと販売期限をきっちりと管理しているスーパーでは、わりと状態のいい見切り品が専用コーナーにおかれていることがあります。私は先日も、さほど傷んでいないイチゴを半額で購入してきてすぐに洗って食べました。このとき、「お金がもったいないから」と買わないか、「おっ、チャンス!お宝みっけ」として買うか。欲を否定していないからこそ、こうした些細なチャンスが引き寄せられてくるのです。
【欲】を持つことは、他者を跳ねのけて、社会の中で迷惑となる行動をすることでもありません。
今は、間違った自己主張として勤め先で悪ふざけをしている動画をアップしたり、公衆の中で、痴漢行為をしたり他者に不快な想いをさせる人がいますが、そうした【欲】は上記で述べた、マイナスな形ででた【悪い欲】の現れです。
本来の適切な欲はもっと個人的なもので、影響のある社会といっても家族くらい。もちろん、自己主張の強い家族が一人いると翻弄されることもあるでしょう。しかし、そうした自己主張も、本来の適切な【欲】を我慢している反動からきているからかもしれません。
気温が高くなって夏日になれば、長袖だと暑い人もれればそれで済む人もいます。「あっ、暑いな。半袖にしたい」「暑いけど、薄い生地だから大丈夫そう」我慢してしまう【欲】は「あっ暑いな。でも洗濯物が増えるから、このまま長袖を着ていよう」というように、不快感を持ちながらもそれを頭で考えて押さえてしまう。
「あっ、このゼリー美味しそうだな。食べたいな」(でも、自分一人で食べるのは良くないな。でも家族分を買うとお金足りなくなる。じゃあ我慢しよう)
などのように、日々の中で起こる些細な出来事の中で、「自分を心地よくさせること」「自分を満たすこと」に対して我慢をし続け、【欲】を出せなくなるのです。すると、上記で述べたように、人生の中で自分の中心に置くべき、生きがいや充実感が「わからない」自分の本心からの「こうしたい」がわからなくなっていく。
本心からの欲ではない、「〜しなきゃいけない」「〜するべき」で物事を判断して、自分をどんどんと追い込んでしまう。(「〜しなきゃいけない」「〜するべき」はほとんどの場合、子供の頃から大人、社会によって教え込まれた、それが真実だとされた思い込みによるものです)
そして、その欲を、他者との関わりの中で必要以上に自己主張したり、我を張ったり、「もっとこうしたほうがいい」などと余計な介入をするなど、本来自分のために出すべき欲を、間違った形で表してしまうのです。

「こうしたい」があるかないか人生に及ぼす身近な例
【些細な欲】をきちんと表現するのか、我慢してしまうのか。
これは人生の質や選択の納得度にも現れます。
我が家の父は、「こうしたい」「これはしない」がはっきりした人でした。「こうしたい」と思うことは、家の中の修理、食べ物・飲み物、気にいっている洋服、など自分の好みに表れていました。「ここには出かけない」という親戚の集まりにも一貫していましたが、決して人付き合いが悪いわけではありませんでしたし、会社の中ではいうべきことを言いながらも慕われていたようでした。
つまり、自分の嗜好がはっきりしていて、線引きがはっきりしている。
一方で、母は些細な自分の欲を我慢している人で、その鬱憤が溜まると出しやすい目につくものにお金を使い、亡くなった時には未使用の靴下、パジャマ、が山とありました。「こうあるべき」「こうしなきゃいけない」が強い人で、それを知らず知らずに家族にも押し付けて父ともよく喧嘩していましたし、私自身も母の精神的な縛り付けが苦しく、亡くなってしばらく経っても、その感覚を解放するのに時間がかかりました。
父に対しては、小さい時は母の愚痴を聞いていたせいか悪者扱いしてましたが、心理学を学ぶようになって、自分と同じ気質であることや本人の「欲」がはっきりしている一方で、他者には介入して来ない寛容さがありました。
もちろん、【欲】に関する考え方は、ここで述べていることが全て正しいわけでもありません。
しかし、【欲】そのものを否定してしまうことは、自分が持っている【欲】を否定することは、自分の生き方の方向性や意欲が失われるばかりか、その欲が満たされないと、【我欲】【強欲】など間違った方向に向いしまうことがあるのは、お分かりいただけると思います。
私たちは、何らかの【欲】を持っています。【欲】があるからこそ、今、生きて活動をしています。
それはマズローの欲求五段解説にあるように、生きていることそれ自体が、「生きたい」という欲があるからです。その根底にあるあなた自身の【欲】を何で満たすのか。それ自体が、人生の選択だと言えます。
強欲でもわがままでもない。生きる力としての「適切な欲」「本当の自分が欲するもの」を解放するを始めてみませんか?
